慶應義塾大学での講義「知覚心理学II」(2001年度後期)レポートのフィードバック
まえがき
『知覚は問題解決過程—アーヴィン・ロックの認知心理学』をテキストに,心理学専攻の学部学生に講義を行いました.レポート課題は,「ロックの考えを支持または批判する実験計画を考案し,できるだけ具体的に記述せよ」というものでした.モデルとなるのは,テキスト第1章の最後に掲げた,2つの私の提案する実験でした.10通のレポートが提出されましたが,驚くような出来映えのものが多く,提出していただいた皆さんに感謝します.私自身の今後の検討に参考にさせていただくとともに,皆さんにも共有していただきたく,いくつかのレポートの概要を紹介します.記述は,簡潔にするため,私が加工した部分や省略が多くあります.
【1】心理学専攻3年生:顔の認知と自己中心的定位
〈感想〉欄にこう書かれていました.「本音を言うと,このレポート課題には参りました.初等実験で実験レポートの書き方は教わっていたのですが,自分で実験計画を立てるという作業を行ったことが一度もなかったため,既存のアイデアに頼ってしまったというのが現状です.卒論はどうなることやら…と思いつつ,精一杯がんばってみました.」
ロックは文字の読み取りに関する実験を行った後,すべての対象に対して,まず自己中心的定位が起こり,続いて環境的定位に従う知覚へと進むという知覚過程のルートを提唱した.13ページの図1-3に示された多義図形では,図中に示されているようにどちらを上方として捉えるかによって全く異なった顔が知覚される.また18ページの図1-7の図形を見たとき,それがアメリカ合衆国の地図を90度回転させたものだとの知覚は生じにくい.そして,19ページの実験から,「成分の多さ」が,自己中心的に正立していない向きにある図形の認知が困難になっていることが示されていた.これら一連の流れの後,環境的定位に従う知覚へ進むと結論づけられていた.
ここで,1つ疑問が生じる.確かに図1-3を上方から見るときと逆転させて見るときでは,全く異なる顔が知覚される.しかし一方の顔を見ているとき同時に他方の顔も見えていることもあり,顔の認知に関わる要因は,単に方向性だけの問題とは考えにくい.そして図1-7の場合にも,ふだん見慣れているはずのものが,見る方向を変えるだけでいつものような知覚が生じないということを述べているだけで,顔の認知と直接結びつくとは考えにくい.
以上の観点から,顔の認知における各成分の配置の変化と非自己中心的定位との関係を確かめる実験を考案したい.
実験の方法
提示物:上半身の映った写真(以下,処理前写真とする)を数名分用意し,画像処理を行う.その際,「両眼の間隔」を大小変化させたもの,「両眼の位置」「鼻の位置」「口の位置」をそれぞれ上下に変化させたものを作る.また,上記の写真すべてについて,上下逆さにしたものを用意する.
手続き:実験は暗室で行う.画面上に全員分の処理前写真を提示し,顔を覚えたと思ったら,実験者にその旨を伝えるように教示する.まず,正常な位置の写真について,同じ人物の中から2枚ずつ選び,組み合わせを作る.また,まったく同じ写真同士の組み合わせも,5種類の写真すべてについて用意する.そして,1組につき1秒の間隔で提示し,被験者は提示された写真を見て同じ写真だと思った場合には右のスイッチ,そうでないと思えば左のスイッチを押す.同様の作業を上下逆転写真についても行う.最後に,すべての写真から2枚ずつを選んで組み合わせ,同様の作業を行う.
【1へのコメント】レポートは,ここで終わっています.どういう結果になれば,どういう結論が導けるかのロジックを書き足さなければなりません.「後は自分で考えて」というのでは,「論理の飛躍」と受け取られてしまいます.顔の成分をこのように操作する実験は,ブルンスウィックが線画の顔図形を使って,“representative experiment”として20世紀の半ばに提案しています(拙著『図的に心理学』参照).
【2】心理学専攻3年生:方向と形の知覚
テキスト図1-1を見てもらいたい.左は正方形で右は菱形である.2つの図形は物理的にはまったく同じ形で,右の図形(菱形)は左の図形(正方形)を45度回転させたにすぎない.「正方形」と知覚されるときには上の辺全体が図形の“上”となり,「菱形」と知覚されるときには頂点部分が“上”となる.向きに関するこのような“割り当て”が違ってくると,形まで違って見えるのである.
つまり,これらの記述は,知覚が「自己中心的定位」(=網膜定位)の後に「環境的定位」(=重力軸との関係,視覚枠組みとの関係)が起こることを示唆しており,このことを先の正方形と菱形の問題に適用すると,もし仮に「自己中心的定位」が「環境的定位」より先に行われるならば,被験者は右の図形を「菱形」と,また「自己中心的定位」より「環境的定位」か先に行われるならば,被験者は右の図形を「正方形」と知覚するはずである.しかし,実際に私の家族や友人で上述した正方形と菱形の区別における実験を行ったところ,ほとんどの被験者は両図形は同じであるとの判断を下した.これは,被験者が図形の向きを定めることと,図形の形状を区別することをほぼ同時に行ってしまったからであると考えられ,このように考えると,ロックの正方形と菱形における実験は不十分なものと言える.そこで今回,私はロックの考え方をより強く裏づけるために,以下のような実験を行うことを提案したい.
方法
刺激・装置:まず,標準刺激として,ロックが実験に用いた正方形と菱形を用意する.これをもとにして,上下方向をあらかじめ定めておくために,標準刺激に顔を書き込んだ図1bのような図形を実験刺激として作成する.図1bの刺激は,正方形の1辺が上側となっているが,逆に菱形の頂点を上側にして作成した刺激が図1cであり,これらの図形は「(顔も含めた)形状は同じであるけれども向きが異なる」刺激群(以下,“向き”刺激群)であると言える.逆に,片方の図形の上側が辺,または頂点である刺激が図1d,1eであり,こちらは「向きは同じだけれども(顔も含めた)形状が異なる」刺激群(以下,“形状”刺激群)と言える.これらの5つの刺激を多数回,被験者に反復提示して,被験者が「同じ」か「異なる」かの2件判断を行うまでの平均時間を計測する.なお,時間の計測はコンピュータ上で行えば簡単であり,現実にそのためのプログラムは慶応の研究室に存在している.

手続き:実験は暗室で行い,被験者は指定された場所に着席した後,「課題を行うにあたって,できるだけ速く,“同じ”か“異なる”かを判断してください」という実験者の教示を受けて,試行を開始する.ダミー刺激を混ぜつつ,数百回ほど行い,被験者が疲れるようなら休憩を設けることとする.
結果の処理法:得られた反応時間を用いて,正しく判断された“向き”刺激群(図1b,1cの刺激)の平均反応時間と,“形状”刺激群(図1d,1eの刺激)の平均反応時間のあいだに有意差があるかどうかを検定する.これに有意差が出ると同時に,(“向き”刺激群の平均反応時間)<(“形状”刺激群の平均反応時間)となれば,“向き”によって判断する方が“形状”によって判断するよりも容易であると解釈でき,ロックの考え方を支持することになる.中略 加えて,個人的に興味深いのは,角度との関連性であり,ある種の錯視図形のように,角度の違いによって反応時間が変化することも十分に考えられる.そのような意味から,本実験はさまざまな問題への発展性が考えられる.
【2へのコメント】今回は,「結果の処理法」のところで,どのような結果になれば,どのような解釈が可能かまで提案されている.ただし,正方形と菱形を顔を取り囲む要素として位置づけた点が,うまい視点の投入なのか,話を複雑にするだけなのか,にわかに評価が下せません.なぜなら,ここでの操作が,「形態」と「向き」をうまく分離できていると見なしてよいかが問題です.とは言うものの,このようなアイデアの投入こそ,ロックが好み,得意とした心理学実験の醍醐味です.
【3】心理学専攻3年:仮現運動は問題解決過程の結果として生じるのか?
今回の実験計画を考案するきっかけとなったのは,テキストの88-90ページにある仮現運動にロックらが工夫を加えた一連の実験結果である.ロックによれば,「色の付いていない○を右に,色の付いた四角形を左に並べた図版aと,その位置が左右逆になった図版bを適切な時間間隔をおいて順次点滅させると,仮現運動を起こすのは○ではなく,それぞれの○とペア提示された四角形の方であり,それに対して○は,提示された右と左位置にずっと留まっており,四角い紙片の動きにより遮蔽されたり現れたりするように知覚される」ということである.そしてその結果彼は,「…最終知覚は,自動的・機械的に生じるのではなく,事態をどのようなものと捉えるかの認知の上に決まってくる.知覚は,推論の結果なのである.…仮現運動は網膜上での刺激の時空間パターンに対して神経生理学的に自動的に発動されるのではない」と結論した.
私は,ここに,以下の疑問を抱く.
1. ○が右または左位置にずっと留まり,四角い紙片の動きにより遮蔽されたり現れたりするように知覚されることは,○が仮現運動を起こしていないことを十分意味するものなのか?
2. この最終知覚を,推論の結果とする論拠は確かなものか?
1に関して言えば,四角形は仮現運動を起こしたことから,左右に動いて見えたのだろう.しかしここで,○が提示された左右に留まって見える,あるいは四角形の動きに遮蔽されたり現れたりする知覚が,図形の色,濃淡,面積によるものであったならばどうだろうか?○は色の付いていない図形であり,したがって中に色の付いた面積の大きい四角形が重なれば(つまり両方とも仮現運動を起こす),自ずと知覚されるのは色の付いた大きい四角形ではないのかということである.よって,この実験結果だけからは,適切な時空間パターンをもつこの○同士のあいだで,本当に仮現運動が起こっているのかどうか分からないのではないだろうか.
2に関して言えば,もし○が仮現運動を起こさなくても,その結果だけでは,仮現運動が神経生理学的に自動的に発動されるのではない,推論の結果であると結論づけるには不十分だと感じる.88ページの白黒模様の意味ある絵を知覚するのに,事態をどのように捉えるのかという認知・推論が入ってくることは,それが知覚する素材だけではなく,他の情報(記憶)を必要とするものであることから理解できる(人間やベンチという情報を知らなければそれらはただのカタチであり意味をもって知覚されないから).また,見覚えのある絵ほど速くそれと知覚できるという認知実験からも,そのことは実証されているように思える.しかし,そのような推論体系は,一瞬で単純図形が点滅されて発生するこの仮現運動でも作用するとは考えられない.脳波に関する実験でも,視覚野は早くに働くが,認知活動を行う部位ではそれより長い潜時を要することが知られている.もし本当に,○でなく四角形だけが仮現運動を起こすのであっても,その最終知覚がどのような問題解決を経て得られたものなのか説明できなければ,仮現運動が推論の上で決まるものだという論拠は不透明のままなのである.
以上の疑問を解決するために,実験計画を考えた.1の疑問に関しては,図形の効果を検討することによって解決策を得ることにした.しかし,2に関しては,そもそも仮現運動実験の結果は推論過程を実証することにはつながらないとの疑問があるため,実験計画は考えられなかった.よってここに提案する実験は,ロックらの先行研究で○の仮現運動が認められなかったのは,図形の効果によるものではないか,つまり○は2つの図形と並べて提示されるとき,仮現運動を本当に起こさないかどうかを確かめるための実験である.
目的:図形の色,濃淡,面積などの要因が,仮現運動に及ぼす効果を調べ,ロックらの先行研究と比較する.
方法:用いる図形以外は,すべて先行実験と同じ方法で行う.装置には,仮現運動を起こすのに適切な時間間隔で点滅する点滅器,図版を用意する.図版は1枚につき2つの図形が提示されるもの(もう1枚これと左右逆のものがペアとなる)を2種類用いる.1つ目は,ロックらの提示した図形とまったく同じ大きさであるが,○だけでなく四角形にも中に色の付いていない図形のペア,2つ目はロックらの提示した図形と同様に四角形にだけ色が付いているが,○の直径を四角形より大きくした図形のペアを用意する.この刺激図版を,下に示す.

ロックらの先行研究と比較して,(1-1)・(1-2)のペアでは,色(濃淡)による効果を,(2-1)・(2-2)のペアでは面積による効果を調べることができるだろう.ここでどちらか,あるいは両方の○の仮現運動が確認されれば,それはその図形自体の示す特定の性質が感覚上で優位であることを示唆する.すなわち,点滅される2つの図形の仮現運動は,神経生理学的に自動的に発動されているが,結果的に同じ神経レベルで優位な濃淡や面積をもつ図形だけが仮現運動をしていると言えるのである.
知覚現象には,多くの要因が働いている.何が刺激かと言うことを考えることは,実はたいへん難解な作業であり,それを知ることが知覚現象の解明につながることを忘れてはならない.よって,このように刺激要素の効果を検討するような比較実験の存在は間違いなく必要である.今回実験を考えるにあたって,どのような知覚研究を行い,理論展開するにしても,本来の目的を達成できるような確かな実験計画が必要であると強く感じた.
【3へのコメント】ロックのこの仮現運動のデモンストレーションを作っているとき,私ははじめに○も四角形もともに黒い輪郭線だけとし,中を空白にしていました.すると,ロックの言う遮蔽が,うまく感じられませんでした.そのとき私が思ったのは,白い四角形は透明な四角形だと知覚され,遮蔽の効果が現れないのでは?ということでした.すなわち,刺激図形の“意味”が強く作用し,いよいよわれわれの知覚は意味をも取り込んだ問題解決過程だと考えたわけです.同じ現象に対して,本レポートのように,全く逆の論点から,白い四角形に着目することも可能なわけです.「多面的検討」を要することを,改めて思い知らされました.(2-1)・(2-2)のペアよりも,(1-1)・(1-2)ペアの○を●にする方が,鋭い検討ができるように思います.
【4】心理学専攻2年生:記述と注意
ロックの「知覚は記述することであり,注意を向けなければ記述されない」という考えを取り上げ,それを検討するための実験計画を考案する.私は認知心理学の授業で,視覚的探索課題と注意について講義を受けたことがあり,知覚と注意の関係に以前から少なからず関心をもっていた.
実験を計画する上で,手続きとして,図形の記述に関してロックと基本的に同じ方法をとる.つまり,刺激図版を最初に提示し,それについて再認を求める.その上で,刺激図版に被験者が注意を向けることを妨害するという操作を加えることにした.その結果,被験者の再認率が下がるという予想を立てた.
実験方法:まず,下に示すような図版を提示し,その後,2つの候補図版を示し,どちらが刺激図版と同じだったかの判断を求める.被験者を統制群と実験群に分ける.実験群は,図版の提示の際,図版を記述することを妨害される.

手続き:両群の被験者に,刺激図版を5秒間提示する.実験群の被験者には,刺激図版を記述できないよう,刺激図版の提示とともに声に出して引き算する作業を課す.
結果の予測:図版に対する記述ができなかったため,実験群の再認成績は統制群より優位に劣る.
この実験により示したいことは,ロックのいうように「知覚は記述すること」であるなら,「記述することができないなら,正しく知覚することができない」ということである.これにより,「注意を向けなければ記述できない」というロックの考えを実証的に検討できる.
【4へのコメント】実験の論理もさることながら,上に提案された刺激・候補図版の構造がよい.「記述」「注意」を検討するのに適切な図版だと思います.
【5】心理学専攻3年生:Inattentional Blindness
ロックの死後出版された『Inattentional Blindness』(Mack & Rock, 1998)の中で,彼は問題解決の手がかりとなるためには,そのものに注意が向けられていなければ,存在にさえ気づかないという論を展開している.彼らの一連の実験の中で,色をクリティカル刺激として用いたものがあったが,それに関して1つの疑問を抱いた.それは,色相によって,検出率に違いがあるのではないかという点である.たとえば,背景が白であった場合,赤の色片が提示されるのとベージュが提示されるのとでは,結果が違ってくるのではないだろうか.
また,中心窩の周辺よりも中心窩そのものにクリティカル刺激が提示された方がIBが起こりやすいという知見に対しては,中心窩の方がある一点のものに集中する傾向が強いという可能性が考えられる.このことを確かめるため,たとえば,主要課題である十字の縦と横の長さの違いをぎりぎりまで小さくしてみる.すると,やはり中心窩の方がIBが起こりやすいだろうが,十字の長さの判断成績を比較すれば,中心窩に提示された方が成績がよいと予想される.もし,そのような結果が得られれば,中心窩はある1つのものごとに集中して知覚しているのに対し,中心窩周辺は,物事を捉える範囲が広く,したがってIBが起こりにくいと結論できるのではないだろうか.
【5へのコメント】ロックらの用いた十字刺激は相当大きうものであり,中心窩だけに提示するということが実際問題としてできない.もし,1度に満たない小さな十字の縦と横の長さの比較を行わせたとすれば,にわかには判断できないが,課題の性質の本質が変わってしまう可能性がある.
【6】心理学専攻2年:記述と記憶
『知覚は問題解決過程』の28〜30ページに,ロックが「記述は知覚の本質」という仮説を裏づけるため,Rock, Halper, & Clayton(1972)の名状しがたい図形の一部を変化させた図形による再認実験が紹介されていた.この課題は,左上部分の違いを見分けられれば正解できる.この課題は,遅延見本合わせ(DMTS)と考えることができる.そうなると,記憶が重要な要因として関与してくる.そこで,記憶が関与しない場合,つまり見本刺激と選択刺激が同時に提示される条件を取り入れた実験を提案したい.
(a)選択刺激を1つずつ提示する条件:見本刺激と選択刺激の1つを同時に提示し異動判断を求める.
(b)見本刺激の左右に2つの選択刺激を同時に提示し,真ん中の見本刺激がどちらの選択刺激と同じかの判断を求める.
注視点を与えた後,瞬間提示で,ほんの短い提示時間だけ提示する.
3通りの結果が考えられる.1.正解できるが,どの部分が違うかは答えられない.2.正解でき,どの部分が違うかまで答えられる.3.チャンスレベル以上の正解が得られない.
1の結果になれば,知覚には「記述」が必要ないと言える.2になれば,知覚にとって「記述」は切り離せないことになる.3になれば,ロックらの行った弁別課題には記憶が本質的に機能していることになる.
【6へのコメント】記憶要因の排除を目指した興味あるアイデアです.おそらく,刺激にどのような複雑さをもった図形を用いるかにより結果が左右されると思う.そうなると,提案されているようなクリアな判別は難しい.さらに,2になった場合の結論が「切り離せない」とするのは言い過ぎでしょう.ただし,試行により,正解する場合と不正解の場合が生じるだろうが,それらを分けて集計することにより,どのような特徴が瞬時に検出できる(記述可能)かの検討ができると思われる.
【7】心理学専攻3年:自己の誘導運動と逆さめがね実験
遊園地にあるビックリハウスの中にある座席(実はブランコ)に座っていると,観察者はいすに座ったまま1回転したかのように感じる.もちろん,ブランコはわずかに揺れているだけで,実際には部屋の方が回転しているのだが,「取り囲むもの」と「取り囲まれるもの」の関係が成立し,自分の身体が回転していると感じる.これを「自己の誘導運動」という.自己の誘導運動は,以下の装置で実験室的にデモンストレーションすることができる.被験者の周囲に垂直の縦縞模様の円筒状スクリーンを置いて回転させる.しばらくするとスクリーンの回転感が減少し,自分の身体の方が回転しているように感じる.逆さめがねを着用した左右反転視状況にあっても,このような円筒状スクリーンの回転によって,自己の誘導運動が感じられるのであろうか.これを検討することが,第一の目的である.
逆さめがねの知覚順応過程において変化するものは,ロックは自己の身体像の視覚的変化,ハリスは自己受容感覚の変化だとしている.しかしハリスのいう自己受容感覚による空間定位は,実は視覚性を本質としていると考えられる(吉村).すなわち,触覚(自己受容感覚)により甘受された空間に関する情報は,視覚化という表象作用を介して視空間に変換される.眼を閉じた状況では,それは「閉眼時イメージ」として現れる.この閉眼時イメージは能動運動時には働くが,受動運動時には働かない.閉眼・受動運動時には,めがね着用前の正常視のときのまの自己受容感覚情報が機能するのである.ハリスのいうように,自己受容感覚そのものが変化するなら,それは能動運動時のみならず,受動運動時にも等しく現れるはずである(吉村,1994).
私は,スクリーン回転装置による自己の誘導運動は体験したことがないが,ビックリハウスによるものは体験したことがある.ビックリハウスがとまった瞬間に,自分の身体が今まで感じていた動きと反対方向へ引っ張られる間隔を味わったと記憶している.この「ビックリハウスがとまった瞬間」は,「ビックリハウスの中で眼を閉じた状態」に置き換えられるのではないだろうか.すなわち,上述のスクリーン回転装置が回転している状態で眼を閉じた場合(閉眼時)に,身体が今まで感じていた運動方向と反対方向へ引っ張られる感覚が生じると予測される.第二の目的は,この点を確かめることである.
予備実験
目的:逆さめがねを着用した左右反転視状況において,自己の誘導運動が生じるか否かを検討するためには,左右反転めがねを着用した場合と同じ視野の広さに制限した正常視状況でも自己の誘導運動が生じることを確かめておく必要がある.スクリーン回転装置による自己の誘導運動が生じている状況で,被験者の正面方向の静止した音源から音を出すと,音源は被験者の頭上にあるように知覚される.これは,自分が回転していても,両耳に与えられる音響信号の特性が変化しないためである.予備実験では,自己の誘導運動が生じたか否かを,この性質を利用し,被験者の音源方向感に関する報告から判定したい.すなわち,「頭上から」との報告が得られれば,誘導運動が生じていると判断する.さらに,スクリーン回転状況にいる被験者が眼を閉じると,今まで感じていた運動方向感と反対に引っ張られる感覚が生じるか否かにより,“閉眼時イメージ”が機能しているかどうかも合わせて検討する.
【7へのコメント】さて,この後,予備実験の方法と,そこで予想される結果を踏まえた本実験の提案が続くのですが,これらの説明がなかなか込み入っていた,何度読んでも私にはうまく理解ができません.しかし,上に記したスクリーン回転装置内での音源定位が「頭上」であることの意味をうまく利用した反応指標のアイデアや,それが閉眼時にまで持続するか否かにより「閉眼時イメージ」の性状を検討できるとした発想,さらには能動運動と受動運動の関係(ご本人の中でも能動・受動運動の位置づけについては混乱があるようです)を明らかにしようという意気込みには,優れた視点が盛り込まれていると思いました.今後,検討の見通しを見出してゆくべき提案です.
【最後に】第1回目の授業で上下反転めがねを上下反転めがねを何人かの人に着けて教室内を歩いてもらいました.そのとき,上下反転めがねならそこそこ歩けるけれども,左右反転めがねになるのまったくできないというシナリオをもってデモンストレーションしたのですが,中に,左右反転めがねを着けてすぐに,教壇の上にまでスイスイ上がってきた人がいたことを覚えていると思います.そのときの感想をご本人からいただいたので,ご披露いたします.
授業のはじめの逆さめがね体験では,はからずもまっすぐ歩くことができたり,壇上に登ることができました.興味深い経験をしたばかりか,その後『逆さめがねが街をゆく』をいただくことになり(これはスイスイ歩けたことへの賞品でした),それを楽しく拝読することもできました.
あのときの体験は,ホンの一瞬のようであり,あまりはっきりとは覚えていませんが,自分でも装着したときの率直な感想は,「見えが逆さだ!」という,ふつう(?)のものでした.しかし,Rod-and-Frame効果(場独立性)ではありませんが,何事につけて状況・枠組みから影響を受けやすい人とそうでない人の傾向があるとすれば,私は明らかに後者であると実感しました.視覚はめがねによって操作されているのであり,他の身体感覚は今までどおり正常であると感じ,入ってくる視界を意識しないようにして身体感覚に意識を集中したのです.それでもやはり不思議な違和感はありましたが,身体に受ける重力などの要因を強く意識することで,結果的に行動には支障を来しませんでした.この体験を通して,被験者要因をどのように統制するかということもまた重要な問題だと実感しました.
(吉村より)「視界を意識しないようにして身体感覚に意識を集中」することは,それまでの正常な視環境がどのようなのかについての記憶が残っている状況,すなわち左右反転めがねを着け始めた直後だからできることだと思います.しばらく逆さめがねで生活していると,もはや「視覚情報を意識しない」ことなどできなくなります.他の人と同じように,「不思議の国・鏡の国のアリス」になることでしょう.