モノクロ映画の世界
[1] 老後のリア充(2022.4.21掲載)
“リア充”という若者言葉を知っていたわけではない。知ったのは、数年前のゼミの学生が卒論テーマに取り上げたいと言ったときであった。若者は、ゲームやインターネットというバーチャルな世界ではなく、リアルな体験や生身の人同士の関わりで充実した生活をおくるのが“リア充”というわけである。これは、若者への警句だろうが、引退後のわれわれは、夜遅くまで飲み歩いたり、徹夜で何かに没頭することなどできず、やがて街を歩くことさえ苦痛になる。リアルな世界が、自ずと若者とは違ってくる。
身体よりも頭が先にぼけるならしかたないが、そうでないなら、あちこち出歩くことが難しくなっても、家の中をリアル空間として充実させ続ける工夫が必要である。私は、昔読んだ本を読み直したり、若いときに買ったままで読まずにいた本を急がず楽しみながら読むことを始めている。そのようにして得たことを今後何かに役立てる見込みもないのに、なぜそのようななことをしようとするのか。それはやがて本の中が自分のリアルな世界になるからである。半ば“郷愁感”があり、半ばそれに新しい知識を加ることを楽しんでいる。
そのような思いと共通するのだが、“昔出会った本たち”とは別に、私は“昔見た映画たち”も老後のリア充につながると思っている。1930年代から1950年代前半くらいまでの映画、それらはほとんどがモノクロであった。30歳代、私は金沢大学で仕事をしていたのだか、その頃は金沢城跡、すなわち金沢の街の真ん中にキャンパスがあった。大学は移転問題を抱えており、反対する学生グループが「世界に二つしかないお城の中の大学を守ろう」(もう1つはドイツだそうだ)というステッカーをあちこちに貼っていたことを思い出す(残念ながら、その後、郊外移転した)。キャンパスがお城にあった頃、時間があれば、城を出て古いモノクロの洋画を二本立てで上映するテアトル会館に通った。武蔵が辻の裏手にあったので、大学からは歩いて10分もかからなかった。
老人のリア充としてモノクロ映画の世界を散策したい気持ちになったのは、その頃への郷愁感と、そのころは見ていなかった映画と新しく出会えるわくわく感からである。そのためにいくつかの条件を整え、準備してきた。まず、守備範囲としたい映画たちを日本語字幕のDVD10本2000円もしない軍資金で集められた。また、液晶モニターではなくプロジェクターで見る環境も整えられた。ブルーレイではない普通のDVDなので、解像度の高い液晶モニターでは粗が目立って興が乗らない。何より、発光する画面ではなく、当時の映画と同じ光の投影であるスクリーン(壁紙)で見たい。
[2] 守備範囲(2022.4.21掲載)
1930年代から1950年代前半までのモノクロ映画というだけでは、守備範囲が広すぎる。ご多分に漏れず、その頃のフランス映画、「詩的レアリズム」と呼ばれる映画群は外せない。中条省平(2003)の『フランス映画の誘惑』がその魅力を熱く語ってくれている。ただし、1950年代前半までとしたのは、その本で扱われている1950年代後半からのヌーヴェル・ヴァーグを外したいからである。私はそれらを生理的に受け入れられない。私にとってのリア充を求めて、評論家の意見ではなく、自分で考えたこと、自分で感じたことを書き綴っていきたい。ちなみに、ヌーヴェル・ヴァーグ作品の中では、『死刑台のエレベーター』は大好きである。
フランス映画とは違いアメリカ映画は、ジャンルを限定しなければバラエティーが多すぎる。焦点を当てるのは、フランス人によって「フィルム・ノワール」と評された1940年代前半の作品を中心とする、やはり1930年代から1950年代前半までの映画群である。「フィルム・ノワール」とは、「黒い映画」という意味から推測できるように、ストーリーだけを追えば日本の任侠映画と変わらないのだが、暗いだけでなくともかくスピーディで洒落ている。私は若い頃、それらの映画を全くといってよいほど見ていなかった。ハリウッドにフィルム・ノワールと呼ばれる映画群があったことも、最近になって知った。それらは、同時代のフランス映画との共通点よりも対照的な面白さがある。その内容については、ゆっくり紹介していくことになるが、ここでは主なスターとして、エドワード・ロビンソン、ジェームズ・キャグニー、ハンフリー・ボガートなどがいたことを示すにとどめておく。アメリカにおけるフィルム・ノワールを解説した読みやすい書物に、入手は困難なのだが、新井達夫(2002)の『フィルム・ノワールの時代』がある。
前項[1]で紹介した10本2000円以下のセットで手に入れたDVDを中心に、フランス映画170本、ハリウッド映画200本ほど手元にある。これでもまだ集めきれたわけではないし、集めたものも三分の一程度しか見ていない。それでも書きたいことがたくさんある。老後のリア充を求めて、これらの映画を見ながら、それらの面白さを書き綴っていきたい。
上記の2ジャンルに加え、同時代の日本映画にも魅力的な映画群がある。山中貞雄・溝口健二・小津安二郎・黒澤明の、世界的に評価の高い作品である。ただ、昔見たこれらの映画を今から見直したいとはあまり思わない、能を見るようなしんどさを感じるからである。それは、同じ日本人として心情的に近すぎることからくるのかもしれない。洒落たウイット感やスピーディさをあまり味わえない。もちろん、書きたいことにうまくフィットすることがあれば取り上げるが、主な柱は、先に示した二つのジャンルである。次回から、具体的作品、登場人物を取り上げ、私にとってのリア充を求めて、モノクロ映画の森に踏み入っていきたい。
[3] 若き日のシャルル・ボワイエとダニエル・ダリュー(2022.4.21掲載)
私に限らず、シャルル・ボワイエとの出会いがアメリカ映画の『ガス燈』(1944)や『凱旋門』(1948)という人は少なくないと思う。前者は、夫役のボワイエが、ある目的のために妻のイングリッド・バークマンを精神的に陰険に追い詰めていく。後者でのボワイエは、愛人をゲシュタポに責め殺された過去を持つ陰を背負った無免許医という役どころである。こうした役柄から、ネット上にも書かれているシャルル・ボワイエに対する一般的な評価=“ハリウッドでも活躍したフランスの美男スター”というのがしっくりこない。私の中では、“陰のある謎めいた中年男”というイメージであった。
ところが、最近になって見た『うたかたの恋』(1936年フランス映画)が、その印象をすっかり変えた。というより、それまで持っていた印象との落差の大きさに心地よい意外感を味わえたというべきである。70歳をすぎた私にとって、若い俳優たちが演じる恋愛映画に今さら心震えることなどないのだが、『うたかたの恋』のシャルル・ボワイエには、年甲斐なく心揺さぶられた。この映画は、『ローマの休日』の男女が入れ替わったバージョンで、将来、王になるべき皇太子のボワイエが、宮廷生活の窮屈さから抜け出し“うたかた”の恋をする。私の中にできあがっていた“陰のある謎めいた中年男”が、十年ほどしか時間を遡っていないのに、実に若くて瑞々しい青年なのである。ただし、結末は『ローマの休日』とはまったく違い、開放感を味わうはずのうたかたの恋が、命がけの“うたかた”の恋になってしまう。この顛末に、不覚にも心奮え、今の私にとっての胸キュン映画となった。
『うたかたの恋』でのシャルル・ボワイエの若き瑞々しさには、皇太子の相手役のダニエル・ダリューも一役買っていた。彼女ものちの『ルイ・ブラス』(1947)や『輪舞』(1950)などで円熟した大女優ぶりを発揮するが、『うたかたの恋』は彼女が十代のときの作品で、正真正銘、初々しい。シャルル・ボワイエもダニエル・ダリューも、のちの作品群が代表作で、それらを見ることで二人の名優を知っている人には『うたかたの恋』を見てほしい。きっと、私の胸キュンを共有してもらえると思う。同じ俳優の、時間を越えた作品群を容易に行き来できること、これは古い映画のもつ魅力の一つである。
監督は異なるが、このコンビはのちに『たそがれの女心』(1953)という作品でも共演している。私はこの作品をまだ見ていない。それを見ることで、書きたくないことを書く羽目になるかもしれないが、行きがかり上、見ないわけにもゆくまい。。何しろ、タイトルが“たそがれ”なのだから若々しさは期待できない。結果は、次項報告としよう。
[4] “うたかた”から“たそがれ”への順行ワープ(2022.4.21掲載)
『たそがれの女心』(1953)を見た。夫役のシャルル・ボワイエは予想通り貫禄がついていた。ダニエル・ダリューは美しさの頂点にあって優雅だが、可憐さ、初々しさではない。映画自体は、不倫中の人が見れば、身につまされ、心揺さぶれると思う。
第二次世界大戦が終了し、平和を取り戻したヨーロッパの映画界の協力作と思える。ドイツ生まれだがナチスを避けてフランス国籍を得たマックス・オフュルスが監督し、夫役にシャルル・ボワイエ、妻役にダニエル・ダリュー、妻の不倫相手役にイタリアの映画監督で俳優のヴィットリオ・デ・シーカ、豪華な顔ぶれの仏伊合作映画である。夫は伯爵で軍人、妻の不倫相手は男爵で外交官という設定である。経緯の全てを見ていたのは、結婚当初、夫が妻に贈った高価なダイヤモンドのイヤリングである。その宝石からこの映画を見ると、少し前にオフュルスが監督した『輪舞』(1950)と同じ趣向である。『輪舞(ロンド)』では男女が恋をつないだが、この映画では宝石がつなぐ。
結婚の翌日、夫はある宝石商から購入した高価なイヤリングを妻に贈る。高貴で裕福だが、妻には浪費癖があり、夫に内緒でそれを宝石商に買い取ってもらう。もちろん宝石商に口止めし、劇場でそれをなくしたと嘘で繕う。ところが、夫が劇場中を大げさに探したため、盗難事件として新聞に載る。新聞を読んで、所有する宝石商は、それを買い取ったことを慌てて夫に告げる。夫は再びそれを買い取る羽目になる。やり場に困った夫は、別れを告げるタイミングの愛人にそれをプレゼントする。その愛人は、カジノでの資金のカタにそれを手放す。売りに出たものを妻の不倫相手が買い、最愛の女性にプレゼントする。夫の前でそのイヤリングをしても怪しまれないため、妻は自分の部屋で見つかったと夫に告げる。驚いたのは夫である。愛人にスーブニールとしてあげたはずのものが妻の部屋から出てくるはずがない。夫は何らかの巡り合わせで妻の不倫相手がそれを手に入れ、それを身につけたい口実に、部屋で見つかったと妻が嘘をついていることを見抜く。夫は妻の不倫相手に「これは結婚式の翌日、私が妻に贈ったものだ」と告げる。そして、その宝石を例の宝石商に売るように提案する。夫は、同じ宝石商から同じ宝石を3度買い取る羽目になる。それを手にした妻の喜びようを見て、夫はそれを妻には渡さず、出産祝いとして姪にプレゼントする。ロンドはまだ続く。姪の夫が破産に瀕したためそれは売却され、また例の宝石商の手に渡る。そして今度は、宝石商の方から4度目の売り込みに夫を訪問するが、もはや夫は大金を出して買い取る価値を見いださず、宝石商を追い払う。店に戻った宝石商を待っていたのは、妻である。どうしてもそれを愛の証として持っておきたく、身の回りのものを売って手に入れる。それを知った夫は、けじめが必要と思い、不倫相手の外交官に、「軍人のできることは外交官にもできる」と言ったと言いがかりをつけ、決闘を申し込む。イヤリングの運命の大団円である。妻は決闘の成り行きを案じ、教会で祈り、それを神に託して決闘の場へ急ぐ。決闘と心臓の弱い妻の顛末は脇に置き、高価な宝石は教会への喜捨物となる。三人に代わって神に召されるのである。宝石の立場に立つと、翻弄されるイヤリングのまわりで、三人の男女がそれぞれの運命をたどる脚本の筋立てがよく見える。
[5] 舞台出身のルイ・ジューヴェ(2022.5.9掲載)
映画界には演劇のトレーニングをしっかり受けた舞台出身の俳優が少なくない。日本にも、西村晃・杉村春子・宇野重吉など(古くて恐縮です)、また歌舞伎界にもいるが、時代劇ならいざ知らず、現代劇映画で彼らは芝居がかったしゃべり方はしない。普通の映画俳優以上にリアルで自然に話す力をもっている。それに対し、モノクロ時代のフランス映画には、文字通り芝居がかった台詞回しをする舞台出身俳優がいる。
具体例として、フランス映画『旅路の果て』(1939)を取り上げよう。これは、引退した舞台俳優のための老人ホームの映画なので、当然ながら芝居がかった台詞回しが頻出する。特に、ルイ・ジューヴェの言い回しは、フランス語が音楽的であることを満喫させてくれる。彼が芝居がかったしゃべり方をするのはこの映画に限らず、映画での彼のスタイルとなっている。私の手元にあるルイ・ジューヴェの出演映画を、古いものから順に彼の演技に注目して見直してみよう。
『女だけの都』(1935)では、軍隊に同行する世俗的な司祭役であった。それほどの長台詞はないが、しっかり芝居がかっていて存在感十分である。『どん底』(1936)は、タイプの違うジャン・ギャバンとの共演である。クレジットではギャバンが主役だが、存在感は断然ジューヴェである。『どん底』は舞台上演も繰り返される作品で、この映画も舞台演出を色濃く取り入れており、ジューヴェの芝居がかった演技にギャバンが喰われて当然かもしれない。『フロウ氏の犯罪』(1936)はたわいないコメディーだが、ルイ・ジューヴェ一人がユーモアの中にシリアスなすごみを魅せている。愚かな執事の仮面をかぶった悪党の頭領が、声の調子で両者を瞬時に切り替えるうまさが目立つ。『舞踏会の手帖』(1937)はオムニバス形式で出番は短い。やり手で計算高い悪人役をリアルに演じているので、芝居がかった台詞はない。それでも、最後に想い出の詩をささやくシーンは印象的である。『アリバイ』(1937)では鋭い目つきの老練な刑事役だか、犯人をじりじりと追い詰めるしんどさがない。これは監督や脚本の力にも拠るのだろうが、ジューヴェの演技力も大きい。『北ホテル』(1938)では、主役のアナベラとの間に長い真剣な会話が交わされるが、真剣さを出すリアルな演技のため、芝居がかった話し方が現れにくかった。『二つの顔』(1947)では、詐欺師の親分とうだつのあがらないサラリーマンの二役を演じる。二人の人間性の違いを強調するためか、サラリーマン役は卑屈すぎて、身近な人が二人を見間違うリアルさを欠く。スマートでウイットに富んだ詐欺師役の方が私の好みである。『犯罪河岸』(1947)では、ベテラン刑事でとある殺人事件の解決を担当する役どころである。真犯人発覚までの脚本の流れがよく、ジューヴェの演技が生きた作品である。『真夜中まで』(1949)でも有能なベテラン刑事を演じた。有能なだけに演技がリアルで、芝居がかったしゃべり方は抑えられている。ストーリーは“正義よりも愛”という終わり方で、フランス映画らしい。
『旅路の果て』を含めた10作品を振り替えると、役どころでは『どん底』、筋立てでは『犯罪河岸』を推したい。『どん底』では、破産した男爵が自由を求めて貧民宿に転がり込む。高等遊民とはいかないが、ルイ・ジューヴェの芝居がかったしゃべり方は、遊び心をもった洒落た人物役にピッタリはまる。そうした役柄を得ると、彼はフランス語の音楽性をシャンソンに劣らず生かす俳優だと思う。
[6] もう一人の舞台俳優:チャールズ・ロートン(2022.5.9掲載)
もう少しフランス映画の話を続けたいところだが、前項を引き継ぎ、舞台出身の俳優をもう一人紹介したい。それは、イギリス生まれで王立演劇学校で芝居を学んだチャールズ・ロートンである。私事で恐縮だが、私が古いモノクロ映画を映画館で見ることに興味をもつきっかけになったのはこの映画であった。金沢にいた頃、いくら身近にクラシック二本立ての映画館があるとは言え、頻繁に出かけ続けるにはエネルギーがいる。そのエネルギーに火を付けたのが『情婦』(1957)であった。ご存じの方も多いと思うが、アガサ・クリスティの「検事側の証人」の映画化である。当然ながら、主演のマレーネ・ディートリッヒお目当てで見に行った。しかし、見ているうちに、肥満中年のベテラン弁護士役のチャールズ・ロートンの虜になった。もちろん、この映画を見るまで全く知らない俳優であった。
彼はイギリス生まれだが、1930年代からハリウッドで映画俳優として活躍した。『情婦』では弁護士役だったので、裁判では舞台俳優よろしく長々と弁論する。その話しぶりが魅力に満ちている。ルイ・ジューヴェの場合の音楽性豊かなフランス語での芝居がかった台詞回しとはまた違う、英語での弁舌である。弁論以外の場面でのコミカルな振る舞いとのコントラストが洒落ている。彼の健康を管理する看護師役の女性(実生活での奥さん)との掛け合いも、実の奥さんとのやりとりだと知ってみるとユーモアに微笑ましさが加わる。1957年の作品なので、守備範囲としている二つのジャンルからは少しはみ出すが、私にとっての記念碑的作品である。
成り行き上、チャールズ・ロートンがキャスティングされている主演級の映画を探すことにする。手元にあり見直した映画を年代順に紹介しよう。『獣人島』(1932)は、ロートンが最初にクレジットされた彼の主演映画だが、この役は彼でなくてもよかったと思う。『ノートルダムのせむし男』(1939)では、リアリティある演技を求めてか、極端なまでに醜い顔にメイクし、役柄のため台詞がわずかしかなく、しぐさの演技力を追求したようである。『情婦』での初老の肥満弁護士を見たあとで見ると、せむし男の身のこなしの軽さに唖然とする。『自由への闘い』(1943)では、生徒からも馬鹿にされるマザコン気味の教師役で、好意を持っている同僚の女性教師の信念ある振る舞いを応援することもできない気の弱い教師である。しかし、いよいよ追い詰められたとき、自分の信念を演説調で蕩々と語る。その長台詞は、舞台出身役者の面目躍如である。『容疑者』(1944)はこのシリーズで守備範囲とする「モノクロ映画の世界」の2大ジャンルの一つ、「ハリウッドのフィルム・ノワール」のど真ん中の作品と言ってよい。悪妻を殺すことから始まるサスペンスは、結末も含め、ヒッチコックの秀作に匹敵する出来映えである。『大時計』(1948)は、新聞のやり手編集長が殺人の濡れ衣を背負い追い詰められていくストーリーである。チャールズ・ロートンはその新聞社の社長で、殺人の真犯人という狡猾な役どころである。『情婦』も含めて、これらの映画はどれもシリアス・ドラマなので、彼の台詞回しは舞台役者的でなく、大部分を真に迫ったリアルな演技が占めている。
ただ、『情婦』だけは、監督がビリー・ワイルダーで、ロートンのユーモアとしゃれっ気が生きた作品である。『ビリー・ワイルダー自作自伝』(カラゼク, 1992/1996, 瀬川裕司訳 文藝春秋)には、『情婦』制作時のワイルダーととのやりとりが紹介されている。
ロートンは私[ワイルダー]にとって最高の俳優だった。1958年に『情婦』を撮っていたあいだは、彼とは毎日、夕方の6時になるとふたりで膝をつきあわせ、翌日どんな場面を撮るかを話し合い、進行について細かいことを決定した。そのあと、ロートンは私のオフィスにやってくる。一緒に酒を飲むためだ。彼はいう。「明日、僕たちが撮る場面はものすごく重要なものだと思うんだ。僕はこういうモノローグを考えてみた。いいアイデアを思いついたんだよ。たとえば、こんなのはどうだろうね‥‥」
そして、彼はその場面を演じ始める。全く素晴らしい演技だ。
終わると、私は「いいでしょう、そうしましょう」という。しばらく間をおいてからロートンはいう。
「いや、こういう考え方もできるかな‥‥」
彼は再びその場面を演じ始める。さっきとはまったく別のものだが、これはこれで非の打ちどころのない演技だ。(p. 489)
舞台俳優としての能力が、演出にも口を挟ませ、ユーモアとリアリティを生かした作品作りに貢献している。本項で取り上げた他のどの作品より『情婦』のロートンが光っている。まだ見ていない人にはぜひ見てほしい。すでに見た人には、『容疑者』を“老人のリア充”を考えるテキストとして推薦する。
[7] ハリウッドのフィルム・ノワールのお約束:ヘイズ・コード(2022.5.9掲載)
ハリウッドのフィルム・ノワールについて話し始める前に、言及しておきたいことがある。“ヘイズ・コード”と呼ばれるものである。詳細は他に譲るとし、簡単に言うと、日本の映倫のような制作者側の自主規制で、特に犯罪や暴力(殺人はその最たるもの)の具体的描写を極力抑えるという申し合わせである。このようなコードのもと、はたして「黒い映画」など作れるのだろうか。
前項で言及した際、『容疑者』を「ハリウッドのフィルム・ノワールのど真ん中の作品」と書いておいた。見ている人は、このまま「容疑者」は捕まらずに終わってほしいと思う筋立てだが、そこはこのコードがあることから、犯罪が罰せられないまま終わることは許されない。ただ、この作品が優れているのは、単純な発覚・逮捕とはならない点である。自殺して終わると常套手段も安直である。ハリウッドのフィルム・ノワールの作家たちは、ヘイズ・コードという制約がある中、結末にはさまざま工夫を凝らした。その点でも、『容疑者』は優れた作品である。
ヘイズ・コードは1930年頃から1960年代まで続いたそうで、本シリーズで扱う、「フィルム・ノワールを中心とする1930年代から1950年代前半までのハリウッド映画」は、ヘイズ・コード丸かぶりである。敵対するギャングの事務所に乗り込んで、ピストルを構えて扉を開け、パンというピストル音がしたかと思うと、次の瞬間、ギャングの親分が倒れて死んでいるなどというシーン作りが当たり前にならざるをえなかった。これでは、子供映画としても間が抜けている。
ヘイズ・コードのもと、フィルム・ノワールの映画制作者たちは知恵を絞って、さまざまなエンディングを工夫した。私が見た範囲でいくつかのパターンに整理した。まず、上で取り上げた『容疑者』をパターンAとする。次に、フリッツ・ラング監督でエドワード・ロビンソン主演の『飾窓の女』(1944)をパターンBとしたい。これは、ハリウッドのフィルム・ノワールを論じる誰もがフィルム・ノワールの代表作にあげる作品である。そして、パターンCは『民衆の敵』(1931)である。これは、意表を突いた罰せられ方を工夫するパターンである。
さて、これらの3作品を見た人には、「なるほど、これら3作は異なるパターンの代表格だ」と納得してもらえるだろうが、知らない人には、AとかBとかCと言われても何のことかわかるはずない。もちろん、これらの記号自体には何の意味もない。しかし、内容を説明してしまうと、結末をネタバレさせてしまうことになる。そこで、二つの選択肢を提案したい。一つは、次の段落を読まずに3作品を見るという選択肢である。そしてもう一つは、ネタバレ承知で、次の段落を読むことである。
『容疑者』の結末は、隣に住む気の毒な奥さんが自分の犯した殺人の容疑者にされていることを知り、このまま黙ってやり過ごせば外国での新しい生活が手に入る船に乗ったにもかかわらず、良心の呵責から出航間際に降りて警察に向かうという結末である。これをパターンAとした。一般化して言うと、「良心の呵責にさいなまれての罰」である。
『飾窓の女』では、社会的名声も地位もあり、ある殺人事件を捜査している刑事たちとも親しい主人公が、その親友の刑事たちからも犯人との疑惑をもたれ、いよいよ追い詰められたところで、「首飾の女」という絵画の前での居眠りから起こされる。「全てが夢」であったので、罰を受ける必要のない結末である。桑野(1999, 遠山純生編 フィルム・ノワールの光と影 エスクァイアマガジンジャパン p.200)によれば、この結末は原作小説とずいぶん異なるそうである。映画の監督であるフリッツ・ラングはプロデューサーの反対を押し切って原作の悲劇的結末をあえて変更した。あまりにもネガティブで敗北主義的な結末をつけるのは酷で空しすぎるからと、のちにラング自らが説明したとのことである。
パターンCの『民衆の敵』は、主人公のジェームズ・キャグニーには子供の頃からつるんでいる悪ガキの親友がいた。成長しギャングの一味として悪事を重ねていたが、対立する組に親友が撃ち殺されてしまう。その報復に敵の親分たちを一人で襲って殺すが(襲うシーンは直接映像化されない)、自分も深傷を負い病院に担ぎ込まれる。心配する家族(兄)のもとに、弟の味方だと思っているボスが尋ねてきて、弟が病院から誘拐されたと知らされる。ボスは自分が縄張りから手を引くことで敵対するギャングから弟を返してもらうので家で待てと言って、出ていく。(おそらくボスから)電話があり、やきもきしている兄に、弟を救出したので家に連れて帰るとの連絡が入る。喜んだ兄は母親にそのことを伝え、母親は楽しそうにベッドの用意をする。玄関にノックがあり、扉を開けた兄の足下に、包帯とロープでぐるぐる巻きされた弟の死骸が倒れ込む。ヘイズ・コードに抵触するような殺害時の映像はないが、記憶に残るショッキングな終結である。単に敵との抗争で撃ち殺されるのではなく、「意表を突いた罰」での終結、これがパターンCである。
[8] 罰せられない犯罪映画(2022.5.16掲載)
ヘイズ・コードがあるため、ハリウッド映画では犯した犯罪が罰せられないまま終結を迎えない。それに対し、同じ時代のフランス映画には、殺人が罰せられずに終結するものがある。この点について、当時のフランスとハリウッドを対照させるのに好都合な二つの作品がある。フランス映画『牝犬』(1931, ジャン・ルノワール監督、ミシェル・シモン主演)とそのリメイクであるハリウッド映画『緋色の街』(1945, フリッツ・ラング監督、エドワード・ロビンソン主演)である。これらの映画はフランスの同じ小説を原作としているので、映画の終結も表面上は似ている。会社のさえない会計係である主人公は、趣味で絵を描いている。ある晩、街で助けた若い女性を恋するようになる。しかし、自分を裏切ったその女を殺し、その罪をその女のヒモの男が負うことになり、自分は罪を免れる。そして、最後は浮浪者になって自分の絵を売っている画廊の前を気づかずに通り過ぎてさまようのだが、『牝犬』では自分と同じ浮浪者になっている因縁ある男と再会し、人生のあらゆる枷から自由になった今を喜ぶかのように二人肩を並べて足取り軽く放浪する。それに対し、『緋色の街』では自殺にもしくじり、警察に訴えても変人扱いされ、一人みじめにさまよう。この『緋色の街』の終結は、[7]で示した3バターンのうち、パターンA「良心の呵責にさいなまれての罰」に分類できる。それに対し、フランス映画『牝犬』では、そうした重荷を感じさせない。ただ、この映画と言えども道徳的でない終わり方であることを気にしていたことは確かである。映画の冒頭で、人形に「皆様、これからご覧に入れますのは‥‥悪は必ず裁かれるという内容です」と言わせ、その人形を別の人形が叩きのめしてから始まる。
フランス映画には、他にも罰せられずに終わる殺人がある。『ランジュ氏の犯罪』(1936)は、作家でもある出版社社員のランジュがその会社のいかさま社長を射殺し、面倒見のいい女性と逃亡するというストーリーである。逃亡する二人を泊めたホテルの人たちは二人の話を聞き、警察に通報することなく二人を逃がして映画は終わるのだが、全体がドタバタ喜劇風に作られているので、見る人の道徳感は薄められる。ジャン・ルノワールとジャック・プレベールのコンビは、その点を意識して喜劇に仕立てたのかもしれない。
極めつけは『毒薬』(1951)である。妻は夫を毒殺しようとし、夫はそれより一瞬早く妻を刺殺する。夫は妻を殺す前に、無罪を請け負うことで有名な弁護士を尋ね、前日に妻を殺したので弁護を頼むと嘘をついて刑が軽くなる殺し方の指南を受ける。弁護士はもちろん、すでに夫が妻を殺しているものと信じて、善後策としての知恵を授ける。夫はそれに従ってその日の夕食時に妻を殺す。弁護士はあとでそれを知り憤慨するが、弁護を拒否すると自分の身が危うくなるので弁護を引き受ける。そして、裁判である。被告である夫は弁護士そっちのけで人々が本音で思っていることを流暢にまくしたて、裁判官のひんしゅくを買うが、結果は無罪。裁判所から村人と一緒に護送車で村に帰ると、村人たちに歓迎の肩車で迎えられるというエンディングである。村人たちは、何でもよいから街が活気づき、見物客が訪れるようになってくれることを望んでいたのである。喜劇仕立てであるところが、『ランジュ氏の犯罪』と共通する。『牝犬』との共通点は、ともにミッシェル・シモンが主役(殺人者)で、殺した相手が自分の悪妻である点である。悪妻だから殺していいわけはないのだが、そこは喜劇(『毒薬』)である。喜劇と悲劇(『牝犬』)は紙一重というのがフランス映画なのかもしれない。
[9] フランス映画は価値観が多様(2022.5.16掲載)
殺人を犯しても罰を受けずにエンディングを迎える映画がフランス映画にあるのは、ヘイズ・コードのようなものがフランスになかったためとも考えられるが、他にも理由があるように思う。モノクロ映画時代のフランスでは、映画は芸術であり、目指すは多様な価値観の表出であった。しかも、その表現が詩的とも言えることが、この時代のフランス映画を「詩的レアリズム」と呼ぶゆえんであろう。詩であることは、ストーリー構成に重きを置かない。人との心のつながり(特に恋愛)、人生観、生き様を心震える映像と台詞で表現できればよい。ただし、男女の恋を歌い上げる作品は、詩や芸術としては中心的テーマだろうが、“老人のリア充”を求める私どもには盛り上がらない。[3]で取り上げた『うたかたの恋』は例外だが、それとても二人の大スターの若かりし頃の映像への郷愁からの胸キュンであった。
試みに、「法定もの」と呼ばれる映画を材料に、フランス映画とハリウッド映画を比べてみよう。フランス映画からは『裁きは終わりぬ』(1950)を、ハリウッド映画からは『暗黒への転落』(1949)・『12人の怒れる男』(1957)・『情婦』(1957)の3作を取り上げる。まず、ハリウッド映画から紹介したい。『暗黒への転落』は、移民家族の息子で、父親がえん罪で刑務所で死に、やむなくスラム街に移り住んだ青年の裁判である。スラム街での生活では、悪い仲間に加わって罪を犯し警察に捕まり暴力に満ちた矯正施設に入れられ、お定まりの転落をたどる。彼が犯したと疑われている警官殺しの裁判がこの映画の舞台である。犯罪は社会が作るという主張を正面に据え、弁護士役のハンフリー・ボガートにも「犯罪を生み出すのは社会なのだ」と言わせている。『12人の怒れる男』は12人の陪審員のほとんどが裁判初期には被告人が有罪との印象をもっていたが、一人の慎重な態度が徐々に他の陪審員の考え方に影響を及ぼしていくストーリーで、「他者からの説得」という社会心理学の格好の教材にもなりうる作品である(ずいぶん前になるが、私は実際この映画を教材に使っていた)。さらに、陪審制度への問題提起も、この映画の制作者の意図であった。いずれにしても「社会的存在としての人間」を描くことがベースにあった。[6]で取り上げた『情婦』は、どんでん返しが続くストーリー展開の面白さと、チャールズ・ロートンはじめ俳優の演技力が魅力であった。
一方、フランス映画には、そもそも裁判を映画の中心に据えた作品は少ない。唯一見つけた『裁きは終わりぬ』の主要なテーマは、7人の陪審員の生き方や生活環境、それに価値観の違いが罪状判断に強く影響する様子を描くことであった。それは、演じている俳優でなく、演じられている人間それぞれの問題で、その点で俳優の演技力が魅力の『情婦』とは対照的である。さらに『裁きは終わりぬ』では、被告人本人の生き方・考え方が見るものに強い印象を与える。この映画では、陪審制度の問題点や「正義とは何か」などの社会的問題ではなく、個の生き様の多様さを描くことが最大の関心事だったと思う。
個と社会の対比は、「法定もの」に限らず、フランス映画とハリウッド映画の違いを捉える有効なキーワードのように思う。「恋愛もの」は、洋の東西や時代を問わず、映画でも小説でも詩でも重要視される普遍的テーマなので、フランス映画とハリウッド映画で一般性ある対照性を見出すことは難しいが、それでも多くの作品を真剣に見比べれば、両者の違いが見えてくるかもしれない。いかんせん、何度も書いているように、老人には恋愛に振り回される人生を描いた映画への共感が萎えているので、私には真剣に検討するエネルギーがない。「犯罪もの」であれば、両者の違いはかなり明白である。フランス映画では殺人を犯すとき、法よりも犯罪者の感情や動機が強調されるのに対し、ハリウッド映画では殺人によりのしかかる法律上の困難が犯罪後の展開を支配することが多い。要するに、個のフランスと社会のハリウッドという図式である。また、ハリウッド映画の場合、『暗黒への転落』のように、貧困や前科など社会的問題が犯罪の温床というテーマの映画も多い。このような映画の場合、ストーリー展開が予測できてしまい、日本の2時間サスペンス・ドラマのように紋切り型になりかねない。そこで、[7]であげた3パターンをはじめ、罪の罰せられ方にさまざまな工夫が凝らされるのである。
[10] なぜハリウッド映画なのにフランス語のフィルム・ノワールなのか(2022.5.16掲載)
20世紀に入ると、経済力をはじめ、世界勢力はヨーロッパからアメリカに移っていった。しかし、文化・芸術面ではフランスは新興国アメリカごときに劣らないとの自負があったに違いない。芸術の一つである映画も、自国のものの方が優れており、ハリウッドのエンタテイメント映画など相手にしないと多くの人たちが思っていたのだろう。加えて、フィルム・ノワール映画の中心時期であった1940年代前半は第二次世界大戦のさなかで、ドイツに侵攻されていたフランスでは、アメリカ映画を見ることは難しかった。言ってみれば、第二次世界大戦終了までは、フランスにとってハリウッド映画の空白期間であった。
終戦後、久しく途絶えていたハリウッド映画を見たフランスの映画批評家は、浅薄なエンタテイメントに過ぎないと思っていたハリウッド映画の変質に、驚くことになった。その様子を、吉田(2008)から引用しよう。
フィルム・ノワールという呼称が、ある驚きと共に生まれた言葉だということには注意すべきだろう。周知のようにフィルム・ノワールという言葉は[19]46年にフランスで、ニーノ・フランクによって初めて使用された。当時立て続けに公開された一連のアメリカ映画を見た彼は、その暗さ、登場人物の心理の不可解さに、アメリカ映画の新しい特質を見出し、それをフィルム・ノワールと名づけた。(吉田広明 2008, B級ノワール論 作品社 p.8)
映画評論の世界では、1940年代前半に公開されたハリウッド映画にフィルム・ノワールとの呼称を与えた人物はニーノ・フランクだとしている。その後、より明確にフィルム・ノワールの重要性を論じる批評家が現れた。そのあたりの事情を理解するには中村(2003)のよいテキストがあるので、それを参考に要点をまとめておきたい。
1946年の夏の間にフランスの映画観客は新しいタイプのアメリカ映画を発見した。7月半ばから8月の終わりにかけての数週間、5本の映画が次々とパリのスクリーンに映し出された。それらは異様で、冷酷な雰囲気を湛え、一風変わったエロティスムで染め上げられていた。ジョン・ヒューストンの『マルタの鷹』、オットー・プレミンジャーの『ローラ殺人事件』、エドワード・ドミトリクの『欲望の果て』、ビリー・ワイルダーの『深夜の告白』、フリッツ・ラングの『飾窓の女』である。(Borde, R. & Chaumeton, E, 1955 中村秀之, 2003 映像/言説の文化社会学 岩波書店 pp. 87-88より引用)
これらの5本はフィルム・ノワールに興味をもつ者の必見映画である。『欲望の果て』は、私のもっているDVDでは『ブロンドの殺人事件』とのタイトルになっている。私も、これら5作品は見ているし見直す用意もできているので、今後、このシリーズでも繰り返し取り上げることになると思う。これらのうち、『飾窓の女』は[7]ですでに登場したが、今後も別の形で取り上げていきたい。
話を複雑にして恐縮だが、フランス人は自分たちの知らないうちに、1940年代前半にハリウッドでフィルム・ノワールと呼ばれる映画が作られていたことに驚きと賛辞をおくったという単純な図式では終わらないのである。この時期に先立つ1930年代後半、フランスでも、『北ホテル』『獣人』『霧の波止場』『陽は昇る』など、充分にフィルム・ノワールと言える映画を作っており、実際、その当時のフランスのジャーナリズムは、自国の映画がそうした陰鬱な作品を繰り返し作っていることを批判する意味で、それらをフィルム・ノワールと呼んでいたそうである。にもかかわらず、ハリウッドのフィルム・ノワールをポジティブに評価するとはどういうことなのだろう。それまでのフランス映画にはない“芸術的”価値を、ハリウッド映画に感じたのだろうか。そのあたりの事情を、個々の作品を見ていく中で考えていきたい。
その際、フランス人とアメリカ人の違いとして両国の映画を単純に対峙させにくい理由がある。1930年代にはヨーロッパからアメリカ合衆国への亡命者を中心に帰化する人が多く、映画関係者もその例外でなかった。そもそも、アメリカの映画産業を作り上げたのはユダヤ系の移民であった。したがって、映画を制作する側の人たちに関しては、ヨーロッパとアメリカでかなり混在している。とは言え、映画を享受する観客層は両国で違っている。興行的成功が望めない映画はそうそう作り続けることはできないはずで、特にハリウッド映画は興行収入を意識して作られる。そういう視点も加えて、両国のフィルム・ノワールを捉えていきたい。
[11] これぞハードボイルド:敵役時代のハンフリー・ボガート(2022.5.25掲載)
ハリウッドのフィルム・ノワールの三大スターと言えば、ともに1890年代生まれのエドワード・ロビンソン、ジェームズ・キャグニー、ハンフリー・ボガートであろう。3人のうち、現在、最も有名なのはハンフリー・ボガートだと思う。それは、『マルタの鷹』(1941)・『三つ数えろ』(1946)・『キー・ラーゴ』(1948)というフィルム・ノワールど真ん中の映画の主人公であったばかりでなく、『カサブランカ』(1942)や『麗しのサブリナ』(1954)というフィルム・ノワールの枠を超える名作でも主人公を演じたからである。これらの映画を通して、ボガートはハードボイルド・スタイルの代表的俳優の地位を獲得した。『カサブランカ』のラストシーン、昔深く愛した女性を今の愛人に譲るときの身の引き方のかっこよさ、を覚えている人も多いと思う。
他の二人のスターと同様、ボガートも1930年代から映画出演した。1930年代の映画を、1940年代のフィルム・ノワールと区別して「ギャング映画」と呼ぶことも多いが、三人はまさにギャングとして活躍した。他の二人と違うのは、その時代、ボガートは主役ではなく敵役であった点である。日本のギャング映画で宍戸錠が演じていた役どころである。ハリウッド映画では、西部劇など男の世界の映画であっても、美しい女性が必ず登場し、主人公とのラブシーンを演じる。あれは実に場違いな飾り物のように思うのだが、華やかさを演出する基本スタイルである。1930年代のギャング映画も40年代のフィルム・ノワールもその例外でない。しかし、ラブシーンがしつらえられると、主人公のハードボイルド・スタイルが軟弱になる。ハンフリー・ボガートを除く他の二人は、1930年代から主役を張っていたので必ず女が絡み、ハードボイルド・スタイルは徹底されない。それに対し、1930年代のハンフリー・ボガートは敵役であったため、実にニヒルで、気持ちよいハードボイルドぶりを発揮してくれた。
具体的作品を見ていこう。『化石の森』(1936)では、ボガートは逃走中のギャングのボスを演じた。アリゾナの砂漠のへりで家族が経営するガソリン・スタンド兼食堂が舞台である。そこを訪れた世捨て人のようにヒッチハイクしている小説家とその店の孫娘が主人公とヒロインで、二人は恋に落ちる。ギャングはその家族の店に押し入って立てこもり、物語は展開する。小説家は自分の生命保険の金を娘に与えフランスに行く夢を叶えさせるためにギャングのボスに自分を殺してから逃げるように頼み込む。ボスはそれを承諾するが、見ている観客はボスがその約束を果たさないまま捕まるか殺されるハッピーエンドを予想する。しかし、成り行きとは言え、ボスは小説家を撃ち殺して逃走する。ボガートは最初から最後まで険しい顔を崩さない。これこそ、ハードボイルドである。
『弾丸か投票か』(1936)はエドワード・ロビンソンが主演で、彼は刑事で、クビになったことを装って潜入捜査を行う。ギャングの親分は彼が警察を辞めされられたのを好機に、旧知の彼を組織の監察役に採用する。ハンフリー・ボガートは親分の右腕で、ロビンソンを煙たがるとともに最後まで疑い続ける。そのしつこさと狡猾さに敵役のすごみがあった。
『背徳のナポレオン』(1939)では、ハンフリー・ボガートは最初にクレジットされる主役だが、やはり手配中のギャングのボスで、悪人役である。仲間が銃で撃たれ、その治療のため腕のいい医者を拉致し治療させる。お礼に大金を渡してその後も仲間の怪我を治療させていたが、治療中に警察に踏み込まれ、医者は巻き添えを食って死ぬ。その医者の妻も医者で、夫とグルだと誤解され、街から追われ小さな村で開業する。ギャングのボスは、自分をナポレオンの再来と考えており、逃走中に出くわしたさえない作家に自伝を書かせ始める。逃走中にボス自身が負傷し、例の女医のいる村で、女医を連れ出し治療をさせる。治療を終え一旦家に帰った女医は、作家を助け出し自分の無実を証明するために、再びギャングのアジトに自ら出向く。女医はボスが目の感染症にかかったと偽って、一時的に目が見えなくなる目薬を全員に点す。そこに保安官らが踏み込み、銃撃戦でギャング一味は捕まり、ボスは打たれて死ぬ。女医と作家のロマンスも描かれるが、敵役のボガートは、死に際に「女にはめられたとは書くな」と作家に言って息を引き取る。
1940年代に入り主役になると、ハンフリー・ボガートと言えども、映画に華やかさを添えるため美人女優とのラブシーンが組み込まれハードボイルドぶりが緩む。ハードボイルドを堪能したいなら、敵役時代のハンフリー・ボガート、上記作品中なら『弾丸か投票か』がイチ押しである。
[12] ファム・ファタールとは?(2022.5.25掲載)
前項では、西部劇やギャング映画、それにフィルム・ノワールに登場する若くて美しい女性は映画の華だが、ハードボイルド・スタイルにとっては添え物ないし邪魔者のように書いた。しかし、フィルム・ノワール映画に登場する女性の中には、“ファム・ファタール”と名づけられた、主人公の男の運命を左右する重要な役割を演じる女性もいる。吉田(2008)によれば、ファム・ファタールとは、「男を性的な魅力で虜にし、悪事に引きずり込み、男の人生を狂わせながら、用がなくなれば容赦なく裏切り、男を死に至らしめる非情な女」(吉田広明 B級ノワール論 作品社 p.27)とある。彼は、その具体的作品として『飾窓の女』(1944)、『ローラ殺人事件』(1944)、『過去を逃れて』(1947)、『深夜の告白』(1944)、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1946)、『上海から来た女』(1947)、『ギルダ』(1946)をあげている。
これらの作品に登場する女性の悪女ぶりについては次項でじっくり見ることとし、本項では、私の手元にあるハリウッド作品で、タイトルから推して女性が重要な役割を演じそうな作品を取り上げ、彼女たちがなぜファム・ファタールのリストに加わっていないのかについて考えてみたい。取り上げるのは、『幻の女』(1944)と『危険な女』(1946)の2作品である。これらは、吉田がファム・ファタールのリストにあげた作品群と制作時期は重なっている。本来ならファム・ファタールに加えてもよいのだが、上記作品群に比べてメジャーでないため見落とされたのかもしれない。しかし、リストから外れた理由が別にある可能性もある。本項では、そのあたりを探っていきたい。
『幻の女』は、事件のアリバイとしてある女を探し求めるのだが、その女が何者なのか、その存在すら謎という設定の映画である。ストーリーが稚拙というかリアリティに欠け、ご都合主義的な作品だと思う。ファム・ファタールに該当するかどうかに焦点を当てると、単に謎の女に過ぎない。それだけではファム・ファタールとは言えない。
『危険な女』の原題は『The Locket』、すなわちロケットペンダントである。映画では、この言葉は高価な宝石全般を象徴する。あるお金持ちの結婚式の当日、前の夫だと名乗る人物が新郎となる男性を訪ね、自分の二の舞になるから結婚を思いとどまるように言う。今回の結婚相手の男性は3人目のようで、一人目の男性は飛び降り自殺にまで追い込まれた。さらに、別の男性を殺した疑いもある。そう語るのは、ここに尋ねてきている精神科医師で二人目の夫である。精神科医が登場するあたりから、この映画はフロイトの世界を臭わせる。主人公の女性は幼い頃、母親が働いているお屋敷で、ロケットをめぐり耐えられない侮辱を受けた。そのことがトラウマとなり、宝石への異常な欲望へとつながった。3回目の結婚に先立つ二人の男性を不幸のどん底に陥れたところなどファム・ファタールの資格がありそうだが、フロイト流の位置づけでは、それは無意識のなせることで、「非情さからの意図的な裏切り」ではない。「男を性的な魅力で虜にした」点、「男の人生を狂わせた」点、「男を死に至らしめた」点はファム・ファタールの条件に合うが、意図性のない無意識の言動である点、それが精神的病である点がファム・ファタールに該当しない。
これら2作品は、「謎の女」というだけではファム・ファタールにならないこと、「精神的病による行為」もファム・ファタールに当たらないことを教えてくれる。次項では、本物のファム・ファタールがどのようなものかを見てゆくことにしたい。
[13] これぞファム・ファタール(2022.5.25掲載)
[10]では、Borde & Chaumetonがハリウッドのフィルム・ノワールの代表作としてあげた5作品を示した。前項では、吉田(2008)がファム・ファタール登場作とした7作品を示した。両者は3作品まで重複する。すなわち、フィルム・ノワールの5代表作のうち3作までがファム・ファタール登場作なのである。7作品を順に見て、本物のファム・ファタールの姿を捉えていきたい。
『飾窓の女』(1944)は、[7]で紹介したように、原作小説とは違い、飾窓の絵の女性に会ったことも犯した殺人も全てが夢だったというオチなので、運命の女のせいで死に至るにもかかわらず、映画を見終わった時点でのファム・ファタール感は半減する。飾窓の女がファム・ファタールの条件に当てはまるのは、「男を性的な魅力で虜にすること」と「男の人生を狂わせたこと」くらいで、「悪事に引きずり込んで深みに落ち込んでいく」のは、むしろ犯罪心理学の大学助教授である男の側の知恵によるものであった。加えて、飾窓の女には男を陥れようとする悪意もなく、用がなくなれば容赦なく裏切ることもなかった。したがって、映画を見た人は、飾窓の女にむしろ同情し共感をもつかもしれない。しかし、飾窓の女の存在がなければ、この物語が成立しないという意味で、運命の女であったことは間違いない。
『ローラ殺人事件』(1944)はストーリーが複雑で、最後まで緊張感が持続する。そもそも、殺されたと思われたローラは生きており、途中までそれがわからないという組み立て自体、ストーリーが複雑である。「男を性的な魅力で虜にし」、「用がなくなれば(容赦なく)裏切り」男の自尊心を傷つけ、嫉妬心を駆り立てる。その結果、男を「悪事に引きずり込み」、「男の人生を狂わせて」「死に至らしめる」。しかし、ローラは「非情な女」ではなく、悪意もない。愛が冷め、同時に複数の男を好きになって迷うことなど、珍しいことではない。ただ、ローラは、殺人が生じる引き金になる運命の女であったことは確かである。
『過去を逃れて』(1947)で運命の女となる目の大きなジェーン・グリアは、自分の身を守るためとは言え、降りかかった難題を振り払うかのように、何人もの「男を死に至らしめた」。彼女は、ファム・ファタールの“理想像”に近い。「男を性的な魅力で虜にする」ことはもちろん、関わったのは過去のことで現在は穏やかな生活をしていた元私立探偵のロバート・ミッチャムを「悪事に引きずり込む」原因を作り、自分の身を守るために「容赦なく裏切り」、最後は自分も死ぬ羽目になる。ただ、(多少同情的にだが)「非情な女」とは言えない。この映画で一番光るのはロバート・ミッチャムのダンディズムである。運命には振り回されるが女に振り回される軟弱さはなく、男なら見終わったときに清涼感を味わえると思う。
『深夜の告白』(1944)は、保険外交員の男が、勧誘に訪れた屋敷の奥さんと相思相愛の仲になり、奥さんが夫の保険金殺人をほのめかし、保険外交員の男が綿密に計画を立てて実行するというストーリーである。この奥さんがファム・ファタールで、「男を性的な魅力で虜にし」、「悪事に引きずり込み」、「男の人生を狂わせながら、用がなくなれば容赦なく裏切り」、殺さないまでも、男をピストルで撃つ。もちろん、男に保険についての専門知識があったからこそ主導して実行できたことなのだが、やがてこの奥さんは元の奥さんの看護師で、妻の座を手に入れるために元の奥さんを巧妙に死に至らしめたらしいことを男は知る。したがって、悪意をもって次々に男を乗り換える「非情な女」にも該当する。
『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1946)には、原作小説があり、映画化も何度かされており、舞台上演もされている。それぞれに脚本に個性があるが、1946年のこの映画に限っては、ファム・ファタール感はあまりない。人妻を最初に誘惑するのは男の側であり、女の夫殺しを男女とも何度もためらう。駆け落ちを試みたり、夫殺しを未遂で中断したり、葛藤がていねいに描かれているところに心理的リアリティがある。夫殺しについては男の裏切りで分が悪くなるが、弁護士の能力で女は無罪となる。紆余曲折があり、最後に二人の犯罪者にハッピーエンドの光明が見える。しかし、自動車事故で女だけが死ぬ。残った男は、それが事故であったにもかかわらず女の殺害を疑われ裁判にかけられる。そして、女の残した手紙から先の夫殺しへの男の関与が証拠立てられ死刑の判決を受ける。先の裁判では女だけが被告であったので、一事不再理が適用されない。これは、男の自業自得であり、あえてファム・ファタールの要素を言えば、「男を死に至らしめる」ことくらいである。
あとの二つの作品、『上海から来た女』と『ギルダ』の主人公の女性(ともにリタ・ヘイワース)は、私にはファム・ファタールと思えない。その理由は次項で説明することとして、本項で取り上げた五つの作品のうちでは、『深夜の告白』の妻がファム・ファタール・ナンバーワンだと思う。男は嵌められた感を強く抱いたに違いない。
[14] 登場人物には心理的リアリティがあってほしい(2022.5.25掲載)
サスペンス映画やテレビドラマでは、前半で犯人らしくない人が真犯人であることがよくある。それが行き過ぎると、まるでパズルのピースが全部同じ形であるかのように、自由自在過ぎるつじつま合わせがされてしまう。パズルのピースにはいろいろな形があり、間違った場所には嵌まらない。登場人物の心理的リアリティを無視して、犯人であり得ない人格として描いていた人をきっかけもなくいきなり豹変させて犯人に仕立て上げることは、意外性は満足させるかもしれないが、心理的リアリティを欠く。
私の見るところ、『上海から来た女』(1947)でのリタ・ヘイワースは、そうした作り物に思える。オーソン・ウェルズ演じる好男子を一途に愛する弱い女性であったのが、突如として全ての企みの張本人に変貌する。これでは、同一人物としての心理的リアリティがない。しかしながら、この映画を作ったのも、当時リタの夫であったオーソン・ウェルズであることを考えると、安易な批判はためらわれる。そこで、退職後の有り余る時間を使い、この映画の原作小説を読むことにした。サスペンス映画の原作を読むなど、かつてやったことがない。ハヤカワ・ミステリーとして尾之上(2007)が日本語に翻訳した、S. キング(1938)の『上海から来た女』である。これは、オーソン・ウェルズの映画と同じタイトルだが、どうやらそれは、映画のヒットを受けて付けられた日本語タイトルのようである。そのあたりの事情が尾之上による翻訳書のあとがきに書かれている。あとがきのタイトルは「上海からは来なかった女」と、とても妙である。本来、キングの小説のタイトルは「もし目覚めずして死なば」であった。小説中に上海は全く出てこず、オーソン・ウェルズの映画で初めてリタ・ヘイワースは上海から来た女にされたのである。あとがきに、さらに興味深い情報があった。オーソン・ウェルズが監督して作ったのは、当初155分の超大作であったが、莫大な費用をかけて作ったにもかかわらず、試写会でさんざんの結果になった。会社は危機的状況においやられ、ウェルズから編集権を剥奪してせめてもっと短くわかりやすいものにしようと大胆にカットし86分にした。半分近くにカットするのに、つじつま合わせが優先されたのであろう。お陰で、最重要人物が心理的リアリティを欠くとの印象を与えることになった。少なくとも、終盤近くまでのリタ・ヘイワースは決してファム・ファタールではない。途中からのファム・ファタールへの変貌では、ファム・ファタールの価値が下がる。
『ギルダ』(1946)は、リタ・ヘイワースの魅力を存分に味わえる映画である。それだけに、彼女を後味の悪いファム・ファタールに据えるはずがない。後半のステージでのダンスはいただけないが、中盤での行きずりの紳士とのダンスシーンは素晴らしい。映画を見ている男たちまで「性的な魅力で虜にしてしまう」点はファム・ファタールの要件に適う。しかし、不誠実に見える彼女の振る舞いは、思いを断ち切れない昔の男の気を引くための一途さからであった。エンディングにおけるその男性との和解は、彼女をファム・ファタールと位置づけるべきでないことの証である。ファム・ファタールである女性は、ハッピーエンドとなってはならない。
小説などのフィクションでは、作家の想像力でストーリーをどのようにも作り得るが、それが行き過ぎると心理的リアリティを欠いてしまう。たとえば、明治時代、尾崎紅葉ら硯友社の作家たちは、物語を盛り上げるためのストーリー作りで大衆の興味を引きつけた。そのような作り話が飽きられ始めた頃、「写生」や「自然主義」が台頭した。起こりえることとして現実的であることや人として実在しうる心理描写を要求する文学運動である。本項のタイトルに掲げた「映画に心理的リアリティを求めたい」との気持には、こうした文学運動と共通するものがある。
映画に対してこのような固い頭をもっている私は、フランス映画によくある寓意的喜劇が好きになれない。たとえば、『ル・ミリオン』(1931)、『自由を我等に』(1931)、『素晴らしき放浪者』(1932)、『ゲームの規則』(1939)などである。その理由は、登場人物の言動に心理的リアリティを感じないからである。たとえば、『ゲームの規則』はドタバタ喜劇としか思えない。登場人物たちは、思ったことを社会的配慮なく口にし、子供のように相手に気持ちを伝える。まるで、思慮というものがない。しかも、クルクルと気持ちが変わる。英語版のWikipediaによれば、この映画は、ジャン・ルノワールのフランスでのキャリアの絶頂期の作品で、制作費もそれまでのフランス映画中で最も高く、公開が待ち望まれていたが、批評家や観客の不評にされされたとある。しかし、時間とともに徐々に評価が高まり、見つかったオリジナルフィルムがヴェネチア映画祭で公開されたのを機に、映画史上最高の映画の一つとの評価を得たそうである。時期により評価は180度違うが、私は初期の評価に与したい。もちろん、映画批評の専門家でない私の意見には権威など全くない。フランス映画批評の専門家である中条(前出, p.113)は、見るたびに印象ががらりと変わる上、ルノワールのあらゆる主題と方法が詰め込まれており、見直すたびに、あらゆる細部が新たな発見を伴って生き返ってくると、高く評価する。しかし私は、心理的リアリティを大切にして映画を楽しみたい。
[15] ジェラール・フィリップならではの役どころ(2022.5.30掲載)
心理的リアリティを大切にして映画を楽しみたいと、前項を結んだ。しかし、心理的リアリティを基本とするシリアス・ドラマより、ハチャメチャな天真爛漫さが似合い、それが魅力の俳優もいる。私にとってその代表格が、ジェラール・フィリップである。彼は、36歳という若さでガンで亡くなった。すなわち、彼の映画は若い頃のものしかなく、それらはほとんど恋愛ものである。ところが、彼の役どころは、若者のはつらつとした恋愛を扱ったものばかりかというと、むしろ逆のものが多い。私の手元にある彼の映画を、20歳から亡くなる36歳まで時間軸に沿って並べると、次の16本になる。 『フレール河岸の娘たち』(1944)、『白痴』(1946)、『星のない国』(1946)、『肉体の悪魔』(1947)、『パルムの僧院』(1948)、『美しく小さな浜辺』(1949)、『悪魔の美しさ』(1949)、『愛人ジュリエット』(1950)、『失われた想い出』(1950)、『夜ごとの美女』(1952)、『花咲ける騎士道』(1952)、『七つの大罪』(1952)、『狂熱の孤独』(1953)、『ボルゲーゼ公園の恋人たち』(1953)、『モンパルナスの灯』(1958)、『危険な関係』(1959)である。これらのうち、以下の8作は、小説を原作とする文芸ものである。ドストエフスキーの『白痴』、レイモン・ラティゲの『肉体の悪魔』、スタンダールの『パルムの僧院』、ファウスト伝説の『悪魔の美しさ』、ジョルジュ・スブーの『愛人ジュリエット』、サルトルの『狂熱の孤独』、モラヴィアとパッティの『ボルゲーゼ公園の恋人たち』、ラクロの『危険な関係』の8作で、これらの映画における彼の役どころは薄幸の青年というシリアスなものが多い。言い換えれば、心理的リアリティのある映画が多い。前項に書いたことからすれば、そのような作品を私は楽しめるはずだが、そうしたシリアスな役柄は、ジェラール・フィリップでなくてもよいように思う。彼ならではの役どころは他にある。
16作全体でみると、なんと言っても彼は「女たらし」のプレイボーイである。ここから先は好みの問題だが、(老年期にある)私はまず、色恋沙汰に人生や命をかけるストーリーに共感できない。また、前項では、心理的リアリティのないドタバタ喜劇のようなフランス映画は好きでないと書いたが、ジェラール・フィリップに限っては、荒唐無稽な恋愛喜劇が似合う。天真爛漫でやんちゃな若者の恋の遍歴こそ、彼のはまり役である。手元にある16作の中、『夜ごとの美女』と『花咲ける騎士道』がこれに当たる。
『夜ごとの美女』は、実生活では薄幸の青年が、夢の中で夜ごと美女と恋のアバンチュールを楽しむ。夢の中のことなので、それはかなり荒唐無稽な恋である。そうした明るくて現実離れした恋をダサくなくやってのけるのがジェラール・フィリップである。夢とは言え、実生活の延長上の希望的想像の世界が展開する。現実の世界で恋のアバンチュールを楽しめない人、すなわちリア充を味わえない人は、若者であっても夢の中で充実感を味わう。フランス映画は喜劇と悲劇が隣り合わせになっていることを、ここからも感じとれる。
『花咲ける騎士道』(原題はFanfan la Tulipe)は、ジェラール・フィリップ出演作イチ押しのはまり役だと思う。この映画での役名が「ファンファン」であったことから、それが彼の愛称となった。舞台は18世紀半ばルイ15世の時代で、言わば日本のチャンバラ映画のような時代劇で、物語自体は他愛ない。ちなみに、『“チューリップ”のファンファン』という原題名は、物語の序盤で王女と伯爵夫人の馬車を襲った賊からファンファンが二人を救い、伯爵夫人からチェーリップのブローチをもらうことに拠っている。活劇物で、ジェラール・フィリップの女たらしぶりが軽やかで明るい。彼のシリアスな映画、たとえば陰湿な恋愛ゲームを描いた『危険な関係』などを見たあとで『花咲ける騎士道』を見直すと、天真爛漫な明るさに心が救われる。
ジェラール・フィリップが亡くなる年の『危険な関係』はかなり暗くて重い映画だが、20年間の彼の映画出演作を眺めると、本当に若かった前半はむしろシリアスな作品が多かった。おそらくそれは、願い叶ってやっと舞台俳優(文芸作品中心)になれたことからキャリアをスタートさせたためだと思う。明るく軽やかな役柄の作品を得たのは、最初の映画出演から10年経った1952年であった。本人の思いにかかわらず、天性の才能にフィットする映画と出会うまでに長い時間要がかかった。
[16] 『モロッコ』と『外人部隊』で妄想(2022.5.30掲載)
引退した今、映画も自分の視点だけで見ればよさそうなものだが、混同しそうな『モロッコ』(1930)と『外人部隊』(1933)を見比べると、女性はこの2作をどう見るのかが気になる。ともに舞台はモロッコ、題材は外人部隊である。『モロッコ』はハリウッド、『外人部隊』はフランスの作品で、私自身がこれらの映画を初めて見たのは、『モロッコ』は比較的若い頃、『外人部隊』は中年以降になってからであった。
『モロッコ』は、外人部隊の兵隊のゲイリー・クーパーとこの地に流れてきた歌い手のマレーネ・ディートリッヒが主人公である。ゲイリー・クーパーの片手をくるりと回す挨拶を、僕も真似た覚えがある。二人は恋仲になるが、デートリッヒを見初めたお金持ちの紳士が現れ、寛大な気持ちでデートリッヒを包み、彼なりの愛情を豊かに注ぐ。しかし、軍隊がこの地を去るとき、迷ったあげくデートリッヒは何もかもかなぐり捨てて、砂漠を行進する軍隊のあとをハイヒールを脱いで追っていく。感動的なラストである。今の私がデートリッヒの立場なら、多少迷うことはあってもお金持ちの紳士の庇護のもとでの生活を選ぶところだが、いかにも映画的なこのラストシーンに心が熱くなった記憶がある。この映画を見る女性の多くも、ラストに共感し心打たれると思う。
『外人部隊』のオープニングでは、一族の財産のお陰でパリで贅沢に暮らしている青年が、愛人の贅沢癖もあって一族が経営する会社の金を使い込み、その穴埋めと引き換えに、フランスから出て行くよう求められる。当然ついてきてくれると思っていた愛人が、パリから離れようとしない。そこで男はモロッコに行き、外人部隊に入る。お坊ちゃんの割には兵隊として有能に務め、親友もできる。休暇に街の飲み屋に行き、パリに残した女と瓜二つの女性(マリー・ベルの二役)に出会う。そこで客相手の仕事をしているその女を、自分が下宿している宿屋の女将さんに頼み込んで宿屋の店で使ってもらい、二人で新しい生活を始める。彼女は、誠実な女性である。モロッコでの5年が経過し、経営者であった叔父が死に相続財産が入るとの知らせがくる。そこで、街に出てパリに帰る船の切符を買った帰り、パリで贅沢に暮らしていたときの愛人に呼び止められる。男は、自分だけ出航を延ばし、その女に会いにいくが、その女の本音を知り、縁を切る。さて、問題はここからである。パリの女と縁を切ったからには、先に出発させた誠実な女性を追うと思いきや、彼は下宿に戻り、外人部隊に入り直すのである。このエンディングに、映画を見た女性たちは、おそらくやりきれない思いを抱くのでないだろうか。特に、設定が似ている『モロッコ』の映画的ラストで心の高まりを覚えた女性だと、なおさらこの仕打ちを腹立たしく思うであろう。
老婆(爺)心ながら、私はこんな解釈を考えてみた。実は、この映画にはもう一人重要な人物がいた。それは、下宿の女主人で、物語の要所要所で、トランプ占いによって男たちの未来を占い、それが次々に当たる形で物語は進行する。彼女は、二階で生活していた若い二人の世話も焼く母親的存在であった。その役を演じたのは、フランソワーズ・ロゼーである。ロゼーほどの大女優に、単なる占いの役割しかもたせないだろうか。映画のオープニングは短かく、パリでの家族関係はわからないが、叔父の経営する一族会社であることから、父親や母親はいなかったのかもしれない。結局、この男が一番求めたのは、母親の愛情で、今ではロゼーが経営する下宿が、彼にとってもっとも居心地よい場所なのかもしれない。
[17]ジャン・マレーに二役を与えたジャン・コクトー(2022.5.30掲載)
ジャン・コクトーが監督または脚本を担当した映画で、ジャン・マレーの出演作がいくつかある。私がDVDをもっているものでは、『悲恋』(1943、脚本担当)、『美女と野獣』(1946、監督・脚本担当)、『ルイ・ブラス』(1948、脚本担当)、『双頭の鷲』(1948、原作・監督・脚本担当)、『オルフェ』(1950、原作・監督・脚本担当)の5作である。これらのうち、『美女と野獣』と『ルイ・ブラス』では、ジャン・マレーに二役を演じさせている。また、『双頭の鷲』では、女王の思い人となる青年と結婚早々暗殺された先王の肖像がジャン・マレーである。マレーに二つの人格をもたせたことは偶然なのだろうか。私は、二つの役は光と影の関係をなし、コクトーはマレーにそのような二面性を与えたかったのだと考える。
『美女と野獣』で、ジャン・マレーは主人公の女性(美女)の兄の友人で主人公の女性の恋人役を演じるとともに、野獣も演じる。野獣はエンディングまではかぶり物のようなものすごい顔で、ジャン・マレーの面影はないが、彼の特徴的な声からそれとわかる。恋人役のジャン・マレーは、映画終盤で恋人を助けようと野獣の屋敷に忍び込むが、助けるより前に宝の館に目がくらみ、それを手に入れようとして館の守護像に弓矢で射られて死んでしまう。その瞬間、野獣の顔がジャン・マレーに代わり、ハッピーエンドを迎える。主人公の女性にとって映画前半は恋人が光で野獣は影だが、欲にくらんで弓矢で射殺された瞬間から、完全に光と影が入れ替わる。最終的な影は死ぬ運命にあり、光は誠意と愛が受け入れられてハッピーエンドとなる。この一人二役には、光と影が入れ替わるという面白さがある。
『ルイ・ブラス』は、大女優になったダニエル・ダリューの出演作として[3]でも少し取り上げたが、ここではジャン・マレーの二役に焦点を当てる。この作品は、ビクトル・ユゴーの戯曲を原作としてジャン・コクトーが脚本を書いたもので、物語自体はおとぎ話のようで心理的リアリティがない。マレーの役どころは、貴族の家系だけれども失脚し今では山賊の頭領になっている人物(セザール)と、逆に平民だけれどその山賊の頭領の代わりに宮廷に入り込み私腹を肥やす貴族たちを追い払いスペイン帝国の再建を進める人物(ルイ・ブラス)の二役である。要するに、貴族→平民と平民→偽りの貴族の二役である。ルイ・ブラスは子供の頃に平民だった現王妃に憧れ、宮廷での再会により二人は愛し合い、不倫関係に陥る。そのように仕向けたのは、王妃に恨みをもつ悪徳貴族で、王妃をスキャンダルの罠にかけようとしたのである。二人は不倫の現場を押さえられ王妃は窮地に陥るが、ルイ・ブラスはその悪徳貴族を刺し殺し、自らも毒をあおって死ぬ。セザールを名乗っていた人物は、死に瀕して自分は貴族でなくルイ・ブラスという名の平民であることを王妃に告げる。死に行く彼に、王妃は「ルイ・ブラス」と呼びかける。ジャン・マレーの二役は、貴族が光で平民が影という図式を打ち崩す。
『双頭の鷲』では、ジャン・コクトーは原作・監督・脚本の全てを担当した。そのためだと思うが、彼の詩人ぶりが全面を占め、心理的リアリティは追いやられている。主人公の女王は、先王との結婚の当日、王を暗殺で失い、それ以降10年間、顔を黒いベールで覆い先王を思い続けて暮らしている。先王の母の皇太后一派の人たちが彼女の暗殺を企て、女王を批判する詩を書いた反体制派の若者を暗殺者に仕立てて女王の部屋に入り込ませる。ところが、彼は先王に瓜二つで、女王は彼をかばい政治の実情を彼に話すことで、二人は信頼し合い、愛し合うようになる。先王が光で若者は影である。コクトーは、若者に、「僕は影から出てきた。あなたが想像できない影から」と言わせている。二人は「死ぬときは一緒に」と言って、反対派と戦うことを誓い合うが、若者にはその力がないことは明らかで、彼は毒をあおり、「僕はあの世で待つ」と言う。彼が毒薬を飲んでしまったことを知った女王は、わざと若者を罵倒する言葉を浴びせ続け、自分を短刀で刺させる。これで「死ぬときは一緒に」が叶うと安心し、女王は若者に最後の愛の言葉を言う。完全に詩の世界である。先王は肖像画でしか登場しないが、光と影の二役の構図が、この作品にも仕組まれている。
三つの作品はいずれも、人生において光と影は容易に入れ替わること、影を光に変えるのは愛の力であることを謳いあげている。ジャン・コクトーの作品は、心理的リアリティに拘束されない叙情詩である。彼は、映画人である前に詩人なのであろう。
[18]詩的レアリズムは本当にリアリズムなのか(2022.6.16掲載)
ジャン・コクトーの映画作品は詩的であり、恋愛至上主義を謳い上げた作品が多いことを前項で見た。ただし、彼の作品はリアリティを求めていないため、「詩的レアリズム」の作家には含まれない。
中条(2003、前出、p.82)の説明では、「詩的レアリズム」という言葉はジョルジュ・サドゥールが1930年代から第二次世界大戦開始までのフランスで開花する映画美学の傾向に対して名づけ、ルネ・クレールを先駆者としてジャック・フェデー(ル)、ジュリアン・デュヴィヴィエ、マルセル・カルネをその代表者とするとある。また、ルネ・クレールを除く三人にジャン・ルノワールを加えて詩的レアリズムの「四巨匠」とするのがサドゥール以来の常道だが、ルノワールはこの狭い美学的基準にはとうてい収まりきらないスケールの大きな作家(上掲書、p.85)とある。そこで本項では、彼を除く三巨匠の作品の詩的かつリアリズムぶりを見つめていきたい
ジャック・フェデー(ル)の監督作には、『外人部隊』(1933)、『ミモザ館』(1934)、『女だけの都』(1935)がある。これらは全て、脚本も彼によっている。『外人部隊』は[16]でも紹介したように、パリで待つ自分を愛してくれる女性の元に戻らず母性を求めて外人部隊に入り直すエンディングであった。安易な映画的ハッピーエンドではなく、人間の心理としてリアリティのある姿を詩的に描こうとしたのであろう。『ミモザ館』は、ミモザ館を営む中年夫婦には子供がなく、事情のある子を育て、その子が親の事情で少年のとき、養父母の元を離れる。都会ですさんだ生活をし、青年になって養父母のところに戻ってくる。養父母の心情、特に養母を演じたフランソワーズ・ロゼーの心情が美化されずリアルに描かれる。そして、養母と義理の息子との、本当の親子とは違う微妙な心情を詩情豊かに描いている。『女だけの都』は、[5]でも少し登場した。ある街に、スペインの軍隊が一晩泊まるとのお触れがあり、市長はじめ男たちは慌てふためく。それに対し市長夫人たち女性軍は肝が据わっていて、男たちを隠して女たちだけで軍隊を接待する。17世紀前半が舞台なので昔物語的ではあるが、いざとなれば女の強みを生かした女性たちの頼もしさを、おかしさの中にもリアルに捉えている。ここでも、市長夫人役はフランソワーズ・ロゼーである。
ジュリアン・デュヴィヴィエは第二次世界大戦後も作品を作り続けたが、戦前までの作品に、『にんじん』(1932)、『モンパルナスの夜』(1933)、『商船テナシチー』(1934)、『地の果てを行く』(1935)、『我等の仲間』(1936)、『望郷』(1937)、『舞踏会の手帖』(1937)、『旅路の果て』(1939)がある。数が多いので、ジャン・ギャバン主演の3作は、彼を扱う次項に回したい。『にんじん』は、赤毛の少年の心情のつらさが作り物でなくリアルに描かれ、エンディングにおける父親の暖かさを詩情豊かに描いている。『モンパルナスの夜』は、メグレ警視の犯罪サスペンスで、ある殺人事件で犯人に仕立て上げられた男、その裏で操った犯人、さらには動機をもつ依頼人という構造である。これらの構造は映画を見ている人に最初から示され、その意味で犯人を捜すサスペンスとは違い、心理的リアリティを無視した謎解きの意外性を仕込む必要がない。メグレ警視と犯人に仕立てられた男との心理的やりとりがリアルである。後半は、裏で操った犯人の狂気ぶりがダミアのシャンソン「哀訴」と共振しながら詩的に展開する。社会から追いやられたその男は、下宿の隣室でシャンソンを歌う女性の声を、実生活で近づきたい女性に重ねて妄想を膨らませる。『商船テナシチー』は、パリで仕事を見つけられない友人二人がカナダ移住を決意し、テナシチー号の出航する港町にいき、そこで出会う人たちとの物語である。滞在中に出会う人たちとの交流・愛情の心理描写をていねいに描いた作品である。詩的に歌い上げるのは、恋愛そのものよりも、親友との青春の苦い一ページである。『舞踏会の手帖』は、昔の手帳が見つかったのを機に、年若い未亡人がまだ少女といってよい頃に出会った男性たちが今どのような人生を送っているかを訪ね回るオムニバス物語である。郷愁感とともに、現実を知ることのつらさを詩的に謳っている。『旅路の果て』は、[5]のルイ・ジューヴェの項で少し取り上げたが、役者の老人ホームでの郷愁感だけですまない、さまざまな人間模様を詩情豊かに描いている。どの作品も、心理的リアリティと詩情に満ちた作品である。
マルセル・カルネも第二次世界大戦後も作品を作り続けたが、戦前の代表作には、『ジェニイの家』(1936)、『霧の波止場』(1938)、『北ホテル』(1938)、『陽は昇る』(1939)がある。やはり、ジャン・ギャバン主演作は、次項でとりあげたい。『ジェニイの家』は、いかがわしいクラブのママをしているフランソワーズ・ロゼーの若い燕としばらくぶりに帰ってきた自分の娘との三角関係を中心に物語が進行する。設定は作り物的だが、終盤に向かうにつれて登場人物の心理がリアリティを帯びてくる。そして、哀愁感を詩的に盛り上げるエンディングへと続く。『北ホテル』は、やはり[5]で言及したが、年若い女性への思いを最終的に受け入れてもらえない結末へと向かう人々の心の動きが心理的リアリティをもって追われていく。それとともに、詩情豊かな哀愁感漂う作品である。
以上見てきたように、三巨匠は、作品によって詩的叙情性とリアリズムとのあいだで重心の振れはあるものの、どれも「詩的+レアリズム」に叶う作品である。
[19] 死で終わるジャン・ギャバンの詩の世界(2022.6.16掲載)
前項で取り上げた「詩的レアリズム」作品には、フランソワーズ・ロゼーが多く主演していた。彼女は、若い女性では出せない母性や中年女性の悲哀・郷愁感を詩情豊かにリアルに演じる大スターである。だが、彼女にもまして「詩的レアリズム」作品に欠かせないのがジャン・ギャバンである。前項でタイトルだけ紹介した作品を中心に、ジャン・ギャバンの出演作を見ていきたい。前項であげたのは、『地の果てを行く』(1935)、『我等の仲間』(1936)、『望郷』(1937)、『霧の波止場』(1938)、『陽は昇る』の5作品で、いずれもシリアス・ドラマである。
『地の果てを行く』は、パリで殺人を犯し、生きる道がなくなりスペインの外人部隊に身を投じるが、自らの罪の意識と賞金目当てに彼を執拗に追う同僚に悩まされる男の話である。ギャバンが主人公なので恋愛は絡むが、前半は状況に追い詰められていく心理がていねいに描かれている。しかし、エンディングは詩情を盛り上げるために作り話になりリアリティを欠く。
『我等の仲間』の前半はドタバタ喜劇、貧乏のどん底の友人たちが共同で買った宝くじが当たって大騒ぎする。皆で賞金を出しあって土地を買い、建物を自分たちで作り店を開く夢を持つ。後半は一気にシリアスになる。仲間5人はそれぞれに事情があり、作業にもトラブルが生じ、共通の目的が崩壊していく。エンディングは、ここまで決定的悲劇にする必要があるのかと思ってしまう。あれでは作り物の悲劇である。
『望郷』の舞台は、アルジェリアのカスバである。カスバは街中が迷宮のような人種と犯罪者のるつぼで、ここに隠れ住むと警察にも手が出ない。主人公ぺぺとパリからやってきた女性との恋愛ストーリーであるが、何度も書いているように、私は恋愛ものに共感も同一視もできないので、この映画から2人の恋愛を引いてみる。そうすると、パリへの郷愁、すなわちタイトル通り「望郷」の物語となる。カスバに守られている主人公が、生まれ育ったパリを恋い焦がれカスバを捨てようとしたとき、生きていくすべをなくすという現実を、詩情豊かに描いている。
『霧の波止場』は、やはり男女の出会いと愛し合う二人の成り行きが、映画の大半を占める。この映画から二人の恋愛を引き算すると、二人には幸せなことは何も残らない。ともに人生において幸せだったことは全くなく、この港町での出会いが初めての幸せであった。しかし、それもつかの間で、下手な生き方しかできない主人公の男は、不幸から逃げ出せる直前、恨みを買った男に撃ち殺されてしまう。死によってしか不幸から逃げ出すことができなかった男の物語である。
『陽は昇る』は、二人の女との愛情のもつれで、自分の部屋を訪ねてきた男を撃ち殺してしまった男の回想である。これまでの4作品と共通するジャン・ギャバンがはっきり浮かび上がってくる。それは、自分なりの正義感と信念はもっているが、裏を返せば頑固一徹でリジッドな性格である。加えて、激しやすい男であるため、自分に誠実であろうとするゆえに殺人を犯し、死ぬことによってしか自分を貫き通すことができない。女への愛情の形をとっているが、その行為は彼の生き様そのものなのである。
恋に人生をかけるストーリー、ご都合主義の作り話、安易な死のエンディング、私が好きになれない要素を、5作品とも抱えている。これらの要素は作品を詩的に作り上げるための必須要件だとは思わない。その証拠に、詩情は死に至るストーリーにでなく、さまざまな境遇の登場人物たちのふとした台詞にも満ちあふれている。
本項では、詩的レアリズムの二人の巨匠の作品を通してギャバン映画のリアリズムぶりを見てきたが、彼は四巨匠の一人には収まらないジャン・ルノワール監督作品の『どん底』(1937)、『大いなる幻影』(1937)、『獣人』(1938)にも出演している。『どん底』では、ギャバンは死なず、貧しいながらもエンディングは明るい。『大いなる幻影』は、ジャン・ルノワールが「詩的レアリズム」の枠に収まらない監督・作家であることを明かしている、さまざまな要素の魅力に満ちた作品である。『獣人』でのギャバンは、タイトル通り獣のような振る舞いをする人物である。自分の意志によらず、衝動的に愛する人の首を絞めてしまう。これは遺伝的・病的なもので、常人には理解できず、小説での登場人物としてもなかなか考えつかない人格である。「事実は小説より奇なり」で、事実に基づくゾラの自然主義小説を原作にした作品である。
ギャバンの出演作品は、恋愛が核をなすものがほとんどで、その中の女性には、ハリウッドのファム・ファタールのような役割を果たす女性が少なくない。本項で取り上げた7作品も、女性がギャバンの人生を運命づけた。ただし、ハリウッドのファム・ファタールとの違いは、ギャバンに近づく女性たちには悪意がない。悲劇は、ギャバンの一徹さが引き起こす。ハリウッド作品が犯罪映画あるのに対し、フランス映画は恋愛映画なのである。
[20] ピーター・ローレの不気味な存在感(2022.6.16掲載、2022.6.27大幅追加)
フランス映画の話が続いたので、ハリウッド映画に話題を移そう。ピーター・ローレ、私がこの人を初めて見たのは『カサブランカ』においてであった。脇役ではあるが、何とも言えない存在感があり、印象に残る俳優であった。登場人物の名前はもちろん、顔の区別もろくにできない私だが、彼に対しては強烈な存在感を抱いた。どうやらそれは、私個人の主観ではなく、『文豪文士が愛した映画たち』(根本隆一郎編, 2018 ちくま文庫)という本の中にも登場する。節ごとに筆者が変わるこの本には「憧れの映画スタア/映画人」という章があり、チャールズ・チャップリン、ジャン・コクトー、マリリン・モンロー、ルイ・ジューヴェ、ジェームス・ディーンという蒼々たる映画人に混じって、色川武大によりローレが取り上げられているのである。副題に「故国喪失の個性」とある。ハンガリーに生まれ、フリッツ・ラング監督のドイツ映画『M』(1931)に抜擢されたが、ナチスに追われ、フランスと英国時代を経て活躍の場をハリウッドに移した、まさに故国を失った映画人である。ハリウッドでは、『暗殺者の家』(1934)、『マルタの鷹』(1941)、『カサブランカ』(1942)、『3階の見知らぬ男』(1940)、『三人の波紋』(1946)、『欲望の砂漠』(1948)、『悪魔をやっつけろ』(1953)の7作に主演または助演している。
上述したように、『M』はドイツ映画である。変質者が子供の誘拐殺人を繰り返す。犯人のローレは、それを自分の病気のためだと言い逃れようとする。現在でも、精神鑑定により凶悪犯の罪を問わないことに疑問を感じる人が少なくないと思うが、百年前にその問題を投げかけたのが、この作品である。ローレのギョロッとした目が、精神異常者(?)の適役と見なされたのであろう。
『暗殺者の家』は、ヒッチコックの初期の作品で、ローレは要人暗殺組織のボスである。小太りで目がギョロッとした彼は、不気味ではあっても悪人面とまでは言えない。暗殺組織に娘を誘拐された夫婦が主人公で、ローレは助演である。コンサートホールで要人が撃たれそうになる場面での妻の機転が、ヒッチコック・サスペンスの片鱗を味わわしてくれる。
上述したように、ローレとの最初の出会いは『カサブランカ』であった。この映画は、ナチス・ドイツから逃れてフランスを出国したい裕福な人たちの脱出経由地カサブランカが舞台である。ローレは、そのような人たちにパスポートを高値で売る仲介人である。ドイツ軍の将校が殺され通行書が奪われる事件があり、リック(ボガート)の店でその犯人の大捕物が行われる。ローレが通行書を手に入れた人物で、それを売ろうとして店に訪れたところを逮捕されてしまう。映画前半でのここまでの役で、当時、私は彼の名前も知らなかったが、その強烈な個性、特に目つきが印象的であった。
のちに、『マルタの鷹』を初めて見たとき、「この場面は以前に見たことがある」とのデジャヴ感を抱いた。もちろん、それは思い違いなのだが、『カサブランカ』と同じ個性で現れるローレが、そのデジャヴ感を引き起こしたのだと思う。『マルタの鷹』での出番はかなり長いが、彼に対して最初に抱いた強烈な印象は失われなかった。ところで、『マルタの鷹』では、ローレ以外にも、不気味な印象を与える人物がいた。うつろな目ぢからのエリシャ・クック, Jr.という俳優である。
エリシャ・クックはピーター・ローレが主演する『3階の見知らぬ男』にも出演している。映画冒頭の殺人事件の裁判シーンで、クックはいきなり被告席に座って登場する。実は、本当の犯人はローレなのである。この映画のキャストは、ピーター・ローレが最初にクレジットされるので、彼が主役であることは間違いない。彼は2件の殺人の真犯人であるが、画面への登場は、表向きの主人公よりずっと少ない。表向きの主人公は、結婚をひかえた若い男女で、新聞記者である男性は、事件の第一発見者で、証人として事実を語り、それが決めてとなり陪審員は被告エリシャ・クックを有罪と判定し、クックは死刑の判決を受ける。主人公の二人はその判決に疑問をもつが、その矢先に第二の殺人が起こり、今度は主人公の男性が2件の殺人容疑で逮捕される。その濡れ衣を晴らすため、女性は目撃者を求めて街を訪ね歩く。普通に考えれば、真犯人捜しをするこの二人が主役の位置にいるが、真犯人ローレが主役なのである。この事実だけでも、ピーター・ローレの特異性が理解できるであろう。
『三人の波紋』では、前半はしょっちゅう泥酔する酒好き、犯罪に加担する奇妙な人物である。しかし、仲間からは好かれるのである。そして、映画が終わるときには、三人の中では最もまともな人間になっているのが不思議である。タイトルにある「三人」の一人は、『カサブランカ』でリックの店を買う地元の経営者、『マルタの鷹』では宝物を追う一味のボスを演じた巨漢のシドニー・グリーンストリートである。
『欲望の砂漠』は、バート・ランカスターが主演で、南アフリカでのダイヤモンド発掘作業が舞台である。ピーター・ローレは準主役だが、ストーリーとしてはいてもいなくてもよい役どころで、最初から最後まで薄汚い謎の男である。ただ、この映画には別の面白さがある。『カサブランカ』で地下抵抗組織のリーダーのラズロであったポール・ヘンリードが敵役、どっちつかずのルノー刑事だったクロード・レインズがやはりどっちつかずの資本家役を演じており、映画をたくさん見ると、同じ俳優のさまざまな映画を見ることの楽しさを味わえる。
『悪魔をやっつけろ』は、洒落た喜劇で、ストーリーは荒唐無稽で他愛ない。1953年の作品なので、主人公のハンフリー・ボガートもずいぶん老けているが、彼はもともと老け顔で、イメージは崩れない。それに対し、ピーター・ローレはさらに太った上に髪も真っ白でかなり老けている。まるで喜劇俳優になったようで、『3階の見知らぬ男』の頃の不気味さはない。あのイメージが台無しになるので、見ないほうがよい。
[21] エドワード・ロビンソンとジェームズ・キャグニー(2022.7.3掲載)
二人は小柄で、私には二枚目俳優にみえない。ギャング映画の隆盛に乗って、ハリウッドで花開いた才能である。アウトローであるギャングは、甘い二枚目俳優では務まらない。やんちゃなアウトサイダー、それでいて魅力ある俳優、それがこの二人である。二人の1930年代前半の映画がギャング映画の隆盛と、のちのフィルム・ノワールへとつながっていく。ロビンソンは1893年生まれ、キャグニーは1899年生まれの6歳違い。1920年代の禁酒法、それに伴うギャングの拡大が背景にあり、一方で1930年代はヘイズ・コード([7]項参照)による殺人など暴力表現自粛の時代である。そこでハリウッドは、ギャングは悪であり、本人の不幸だけでなく家族や友人をも悲しませる結果となること、そしてそれは悪に染まる本人だけの問題でなく社会が温床になっていることを訴えることで、刺激的なエンタテイメントとの妥協点を見出した。
1930年代半ばまでの二人の主演作を並べよう。手元にあるエドワード・ロビンソンの主演作は、『犯罪王リコ』(1931)、『夜の大統領』(1931)、『俺は善人だ』(1935)、『弾丸か投票か』(1936)、『倒れるまで』(1936)、『最後のギャング』(1937)の6作である。ジェームズ・キャグニーの主演作は、『地獄の一丁目』(1930)、『民衆の敵』(1931)、『腕の男』(1931)、『地獄の市長』(1933)、『駄々っ子キャグニー』(1933)、『真夏の夜の夢』(1934)、『Gメン』(1935)の7作である。
エドワード・ロビンソンの作品から見ていこう。『犯罪王リコ』は、彼の初期のギャング映画だが、チンピラではなく、ボスとしてのし上がっていくストーリーである。実年齢がキャグニーより6歳上だったため、チンピラ役からのスタートとならなかったのだろう。『夜の大統領』はキャグニーとの共演だが、ロビンソンがボスでキャグニーはその右腕と、やはり6歳違いを踏まえた役どころである。理容師のロビンソンはギャンブラーでもある。他のギャンブラーや、彼を逮捕しようともくろむ地方検事とのだまし・だまされ合いが軽妙に進む。『俺は善人だ』は、うだつの上がらないサラリーマンが彼と瓜二つの殺人鬼と間違われて逮捕されることから始まる一人二役のお気軽喜劇。エンディングは、やはり殺人鬼の方が殺されることになる。『弾丸か投票か』では、[11]で取り上げたとおり刑事役で、クビになった刑事を装ってギャング組織に入り込み、組織壊滅をやってのける。『倒れるまで』は、ボクシングを舞台にした映画である。ロビンソンはイタリア系移民二世で、ジムのボスである。当時のボクシング・ジムは半ばギャングのような世界である。三角関係の恋愛が絡むが、つまらないすれ違いなどなく感情にリアリティがあって、恋愛映画としても面白い。善悪を度外視した見応えある作品である。ここでも、ハンフリー・ボガートが憎い敵役で、映画に重い緊張感を与えている。『最後のギャング』の脚本はよくできているので、ストーリーを少していねいに解説する。ロビンソンは自分の本業(ギャングのボス)を知らない外国人女性と結婚し、彼女が赤ちゃんを身ごもったところから物語が始まる。数々の殺人を立証できない警察は彼を脱税で逮捕する。ボスは赤ちゃんが生まれたことを知るが、できたばかりのアルカドラス刑務所で10年の刑期を送ることになる。マスコミは、何も知らない奥さんが抱く赤ん坊の脇に拳銃をおいて写真を撮り、新聞に載せる。その記事を書いた新聞記者(ジェームズ・スチュアート)は後悔し、彼女と赤ん坊の世話をするため東海岸に移り住む。二人はやがて結ばれ、男の子も成長する。10年の刑期を終えたボスが昔の一味に裏切られ惨めな扱いを受けるが、隠し持っている金のありかをどうしてもはかないので、一味は息子を誘拐し話すことを強いる。ありかを白状したので、二人は放り出され、誘拐を心配している夫婦の家に何とかたどり着く。そこからエンディングへと進む。この映画では、ギャングの末路と家族まで巻き込む怖さがテーマである。
一方のジェームズ・キャグニーについて見ていこう。『地獄の一丁目』ではキャグニーは準主役で、主役のリュー・エアーズがギャングのボス、キャグニーは彼の右腕である。エアーズはギャングのボスにしては甘いマスクで、その後のギャング映画にはキャグニーの方が生き伸びた。『民衆の敵』では少年時代の友達とつるんだ悪ガキ時代から羽振りのよいチンピラまでを演じた。対立するギャングに仕返しするため雨の中一人で乗り込む場面でのニヒルな笑いが印象的である。もちろん、[7]で紹介した、す巻きにされた意表を突いたエンディングも忘れられない。『腕の男』は、キャグニーの芸域を洒落たコメディーに広げた映画だと思う。ホテルのベル・ボーイのキャグニーが詐欺の手口を研究し、職場で出会ったブロンド娘と組んで、だまし・だまされの詐欺を重ねるストーリー。『地獄の市長』は奇想天外な設定だが、映画自体はなかなか面白い。ギャングのボスが、政治力と財力を使って州の少年矯正施設の局長代理になり、高圧的な施設管理を少年たちの自治組織に変え、エンディングでは校長になる。キャグニーはギャングのボス→校長となる役どころで、痛快喜劇であると同時に、矯正施設のあり方を考えさせる社会派映画でもある。『駄々っ子キャグニー』はいかにも無理に日本語タイトルにしたものだが、このタイトルからも喜劇だとわかる。原題は『Picture Snatcher』で、刑務所から出てきたギャングのボスが、足を洗って三流新聞社に勤めて特ダネ写真を撮るために活躍するストーリーである。『真夏の夜の夢』は、こんな映画にもギャグニーが出ていたのかという意外な映画での助演である。シェークスピアの同名の喜劇を映画化したもので、言わばファンタジー映画である。娘の父親である貴族と、宮廷で芝居を行うために森で練習するアテネの職人ボトムとの二役である。ボトムの方は主役と言ってよいほどの活躍ぶりで、ここでも喜劇俳優としての素質を披露している。『Gメン』ではギャングとは反対側、FBIのGメン役で、Gメンの社会的意義と歴史を喧伝する映画である。以上の7作は、詐欺師を演じた『腕の男』と異例のファンタジー映画『真夏の夜の夢』を除くとギャング映画である。しかし、『Gメン』のようにギャングと戦う役もあれば、『地獄の市長』のように少年矯正施設の改革をやってのける役、さらには喜劇仕立てのものもある。キャグニーは、この時代に多く作られたギャング映画の広がりに貢献した俳優である。
ここに紹介した二人の映画は、ハリウッド映画らしくほぼ全作に女性との恋愛が絡む。また、二人はともにギャング側だけでなく警察側も演じ、シリアス・ドラマも喜劇もこなした。悪そうな面構えだが茶目っ気や愛嬌のある二人は、ギャング映画がワンパターンにならないことに貢献した。
[22] その後の二人:エドワード・ロビンソンの場合(2022.7.3掲載)
1930年代半ばまでの二人の出演作は、ギャング映画が多かった。しかし、年齢を重ねると、自ずと役柄にも変化が生じる。エドワード・ロビンソンは、当初からギャングのボスで、チンピラ役はなかったので、中年以降の変化は自然に進みそうである。そこで、本項ではまずロビンソンの、1930年代終盤以降の作品を見ていく。年代順に『犯罪博士』(1938)、『暗黒王マルコ』(1938)、『ニューヨークの顔役』(1940)、『詐欺請負会社』(1942)、『肉体と幻想』(1942)、『深夜の告白』(1944)、『飾窓の女』(1944)、『緋色の街』(1945)、『赤い家』(1947)、『キー・ラーゴ』(1948)『夜は千の眼を持つ』(1948)、『他人の家』(1949)の12作である。
これらのうち、『肉体と幻想』までの5作は、彼は犯罪者ではあるが、いわゆるギャング映画ではない。まず、『犯罪博士』でのロビンソンは、犯罪を未然に察知するためにさまざまなタイミングでの犯行者の生理指標を記録し論文を書いている医学博士である。そのために、身分を隠し自ら犯罪者の一味に加わり仲間の身体状況を測定していく。しかし、一味の一人(ハンフリー・ボガート)に身元がばれて脅され、やむなく彼を殺してしまう。ロビンソンが被告となるエンディングの裁判場面も面白い。『暗黒王マルコ』は、禁酒法が廃止され、今まで質の悪いビールで儲けていたビール会社の社長(裏家業はギャング)の別荘で繰り広げられるドタバタ喜劇である。もちろん、彼はビール会社のボス役。『ニューヨークの顔役』は、ギャングであることに嫌気がさしたボスが、組織を手下(ハンフリー・ボガート)に譲り、気品と教養を身につけるためヨーロッパに遊ぶが、金が尽きて舞い戻ってくる。ここまでは、他のギャング映画にもよくある筋立てだが、ここから先が奮っている。元の一味から追われ、森で撃ち殺されかけ、瀕死の状態で逃げ込んだのが修道院。そこで修道士となり、花を育てて生活する。ところが、今まで花を買ってくれていた街の業者がボガートの組にみかじめ料を取られた上、修道院の花を買わなくなる。そこから先は痛快勧善懲悪映画で、ボガートの組織をたたきのめし、エンディングは婚約者をはじめ現世との全ての関わりを捨てて修道院に戻る。修道院こそ、自分が求めていた気品と教養を育ててくれる場所だと悟るのである。というわけで、この映画はギャング映画のようだが、ロビンソンはそこから抜け出た性格俳優になっている。『詐欺請負会社』は、刑期を終えた三人組みが銀行の隣の鞄屋を買い取り、地下を掘って銀行の金庫を目指しつつも、鞄の販売や商店街の人たちとのやりとりを面白おかしく描いた喜劇で、ロビンソンは三人組みの親分である。『肉体と幻想』は、フランス詩的レアリズムの巨匠の一人ジュリアン・デュヴィヴィエが1942年に監督したオムニバス映画である。彼がハリウッドで監督することになったのは、パリがナチス・ドイツに占拠されたからである。夢で見たことが実際に起こるという幻想的なテーマで、ロビンソンが弁護士役で登場するのは3話のうちの第2話である。手相を見て、「あなたは殺人者になる」と告げられたことから話が展開する。その話の終わりにロビンソンが逮捕されるのと入れ替わりに第3話の主人公シャルル・ボワイエが登場するところなど、フランス映画の巨匠がハリウッドで作った映画ならではの演出である。これら5作のうち、『犯罪博士』と『肉体と幻想』を除く3作はロイド・ベーコンが監督した人情味あふれる作品である。
『深夜の告白』から『緋色の街』までの3作は[10]で紹介したように、ハリウッドのフィルム・ノワールの代表作で、もはやギャング映画ではない。まず、『深夜の告白』については、[13]のファム・ファタールの項で取り上げた。保険金詐欺を実行し殺人を犯し告白するのは保険会社の優秀な社員(主演者)で、ロビンソンはその保険会社で不正請求のチェックをするベテラン担当者である。『飾窓の女』では、[7]と[13]で取り上げたように、夢で殺人を犯してしまう犯罪学の教授であった。『緋色の街』では、[8]で説明したように、自分をだました女を殺すことになる、趣味で絵を描いている会社のさえない会計係であった。これら3作は、もはやギャング映画でもドタバタ喜劇でもなく、ロビンソンはシリアス・ドラマの性格俳優である。
『赤い家』では、田舎の農場を家族だけで維持している初老の農場主の役。ただし、殺人という重い過去を秘めていて、15年前のその事件は森の中の赤い家に封印されている。『キー・ラーゴ』はハンフリー・ボガートが主演で、ロビンソンは禁酒法撤廃で勢力を失ったイタリア系マフィアのボスである。喜劇的要素が全くなく、またアクション映画でもない、舞台芝居のような人間性のぶつかり合うヒューマン・サスペンスである。キー・ラーゴとは、南フロリダに浮かぶ島の名前で、他のギャングとの取引のためそこの小さなホテルをロビンソン一味が借り切った数日間の話で、映画はほぼそのホテルの中で進行する。『夜は千の眼を持つ』でロビンソンは、予知能力をもつ奇術師を演じた。テーマはキワモノだが、なかなか渋い役で、シリアスなドラマである。予見が当たる・当たらないだけでなく、「予見した内容を自分が具現化している」との思いにさいなまれながらも、自らが犠牲になり大切な人を助ける。『他人の家』では、イタリア系移民で理髪業から一族経営の銀行を一代で興しワンマン経営者となった男を演じた。同居する4人の息子たちと文字通りファミリーのはずが、父親と銀行に勤める息子たちとが心理的に他人のようであることから「他人の家」というタイトルとなった。物語は四男のリチャード・コンテを中心に展開していく。これらはいずれもシリアスなドラマで、ロビンソンは強い個性をもった初老の男を、それぞれに演じている。
[22]で取り上げた1930年代半ばまでを第1期とし、エドワード・ロビンソンは本項での第2期、第3期、第4期と、それぞれの期を特徴づける魅力あふれる演技をこなした。彼の俳優人生は1950年以降も続くが、私の守備範囲はここまでとして、ロビンソンの軌跡を追う作業を終えたい。
[23] その後の二人:ジェームズ・キャグニーの場合(2022.7.3掲載)
1930年代半ば以降のジェームズ・キャグニーの出演作で私の手元にあるのは、『汚れた顔の天使』(1938)、『オクラホマ・キッド』(1938)、『彼奴は顔役』(1939)、『我れ曉に死す』(1939)、『東京スパイ大作戦』(1945)、『白熱』(1949)、『明日に別れの接吻を』(1950)、『ワン、ツー、スリー』(1961)の8作品である。作品間に10年の空白があることもあり、それらの前後では役柄の変化が予想される。さっそく年代順に見ていこう。
『汚れた顔の天使』では、キャグニーは悪ガキの少年時代も自分で演じている。あれやこれやで15年間の刑期を終えて少年の頃に過ごしたスラム街に戻ってきたとき、悪ガキ仲間だった親友は神父になっていた。その神父に協力して悪ガキたちの矯正を助けることと、今はハンフリー・ボガートが仕切っているギャングとのあいだで物語が進行する。ギャング映画としては意外なラストである。1930年代前半とほぼ同じ役どころで、キャグニーにはロビンソンとの6歳の差を超えた若さがある。『オクラホマ・キッド』は西部劇だが、「キッド」と呼ばれるのは彼の若々しさからだろう。西部劇でも、ハンフリー・ボガートが憎々しい敵役で登場する。『彼奴は顔役』は1939年の映画だが、舞台は1918年、第一次世界大戦が終了する年に遡る。徴兵され、フランス戦線で終戦を迎え、禁酒法が制定された頃にアメリカの故郷に戻るが、仕事が見つからない。禁酒法の流れに乗って、酒の密売、密造へと深入りしていく。戦友のジェフリー・リンとハンフリー・ボガートがストーリーに深く絡む。ボガートは、やはり敵役である。[11]で「敵役のハンフリー・ボガートこそ本物のハードボイルド」と書いたが、前項と本項のいくつかの作品でもボガートは敵役で頻々と登場し、ハードボイルドぶりを発揮した。1929年の大恐慌、その後の禁酒法撤廃のあおりを受けてキャグニーはタクシー運転手に転落し、それもやめて酒場で酒浸りとなる。落ちぶれた中年男の役が似合ってきた。ずっと世話を焼いてくれた酒場の女主グラディス・ジョージもいい。同年の作品『我れ曉に死す』では、権力者の罠にはまって刑務所に入れられる新聞記者を演じているが、「若造」のイメージはない。刑務所内の作業所場面が多く、看守の理不尽さが強調される。同じ刑務所に収監されているギャング組織の大物ジョージ・ラフトの存在が光る。囚人なのに、背筋がピンと伸び、スマートなギャングぶりをラフトはこの映画でも発揮している。この時期、キャグニーは若い役から大人の役への変化点で、主役を張っていた。『東京スパイ大作戦』(制作は弟のウィリアム・キャグニー)は、太平洋戦争終結の年の作品である。昭和初期に田中義一首相が書いて天皇に上奏したとされる「田中上奏文」(日本による世界征服計画を天皇に上奏する内容)をアメリカ系新聞の新聞記者(ギャグニー)がすっぱ抜き、彼と日本の官憲とが探り合い・奪い合うスパイ合戦である。「田中上奏文」は歴史的には偽書とされているので、日本人の目からこの映画を見ると不快感は否めないが、実際に日本がアメリカに戦いを挑み、映画公開日(1945年4月26日)がその戦争のさなかという背景を考えると、アメリカでは絶大なプロパガンダ効果があったであろう。この映画での新聞社の編集長という役柄からも、「若造」イメージはもはやない。
次の『白熱』では、そろそろ老成した姿、渋い役どころのキャグニーが見られるのではと思って、この映画を見始めた。しかし、オープニングで現れたのは列車強盗をするギャングのボスのキャグニーで、元の役柄に戻った感がある。ただし、ストーリーはよく練れていて、刑務所に入ったキャグニーから盗んだ金のありかを聞き出すため、潜入捜査官が刑務所に囚人として送り込まれるところから話は展開していく。翌年作られた『明日に別れの接吻を』は、キャグニーの弟、ウィリアム・キャグニーが監督した作品で、ジェームズ・キャグニーのそれまでのイメージどおりの役柄である。キャグニーは刑務所から逃亡する囚人で、強盗を繰り返す。二人の女性が登場するが、どちらもファム・ファタールと呼ぶには甘すぎる、というより愚かすぎて、女性を小馬鹿にした脚本である。この脚本には原作があるようだか、読む気がしない。
この作品から10年の間隔があり、『ワン、ツー、スリー』が作られた。ときに、キャグニーは60歳を過ぎている。今度こそ、ギャング映画とは無縁であった。監督のビリー・ワイルダー一流の東西冷戦を皮肉った喜劇で、キャグニーはコカ・コーラのベルリン支社長。キャグニーを筆頭に、出演者全員が動き回りしゃべりまくる息もつかさぬドタバタ喜劇である。ペプシ・コーラにも気を遣ったシナリオにしているところは洒落ていて思わず顔が緩む。キャグニーは、ギャング映画に出演していた頃から、喜劇俳優の素質を見せていたが、この映画でその才能が存分に発揮された。ビリー・ワイルダー監督は、[6]で取り上げた『情婦』の監督でもあり、私の好きな監督の一人である。どこかで改めて取り上げたい。
同じくギャング映画からスタートしたエドワード・ロビンソンとジェームズ・キャグニーではあるが、歳を重ねるにつれてロビンソンは老成してシリアスなドラマへと進んだのに対し、キャグニーの主演作はギャング映画が多く(初期の『真夏の夜の夢』や新聞記者役もあるが)、60歳を過ぎた『ワン、ツー、スリー』においてギャングと全く縁のない喜劇に主演した。このように、1930年代後半以降、二人の進んだ方向はずいぶん異なった。古い映画を見ることの楽しみの一つに、故人になった俳優の演技スタイルの変化をリアルな役者人生の中にみられることがある。
[24] いよいよマレーネ・ディートリッヒ登場(2022.7.13掲載)
私がモノクロ映画に深入りしたきっかけの一つが『情婦』(1957)であったことはすでに書いた([6]参照)。機知に富んだ弁護士役のチャールズ・ロートンがすっかり気に入ってしまったのだが、もともとこの映画を見に行こうとしたお目当てはデートリッヒであった。しかし、1901年生まれのデートリッヒは、この映画撮影時すでに50代半ばで、期待していた美女はそこにいなかった。確かに「百万ドルの脚線美」は健在だったが、頬がこけ落ちた痩せぎすの女性としか、私には見えなかった。
この裏切られ感を払拭してくれたのは、のちに見た、若かりし頃の『嘆きの天使』(1930)と『モロッコ』(1930)であった。『監督はともにジョゼフ・フォン・スタンバーグである。Wikipediaによれば、スタンバーグはドイツ系ユダヤ人の子としてウィーンに生まれ、7歳のときに家族とともにアメリカに移住し、ハリウッドで撮影助手や助監督を務めて映画制作に携わり、その後ウィーンにも一時滞在した経験があった。そのことがあって、ドイツ最初のトーキー映画『嘆きの天使』の監督に抜擢された。この映画の成功を受け、スタンバーグはデートリッヒをハリウッドに呼び寄せ、『モロッコ』を撮った。
『嘆きの天使』は、世間知らずの中年の高校教授が生徒の不品行を正すためにキャバレーのダンサーであるデートリッヒのところに談判に行くのだが、彼女の色香の虜となり、破滅していくストーリーである。この映画で印象的なのは、ずっと後の『情婦』のときの痩せこけた姿とは異なる太りめの健康美のデートリッヒであった。うっかりすると、別人と思うくらい、印象が異なる。ところが、『嘆きの天使』から1年も経たずにハリウッドで撮られた『モロッコ』ではすっかりスマートになっていて、これまたデートリッヒを知らない人が見れば、『嘆きの天使』のダンサーと同一人物と思えないくらいである。ただし、頬がこけ落ちるところまではいかず、神秘的で美しい。『モロッコ』のデートリッヒもさることながら、私は『嘆きの天使』のデートリッヒも好きである。『モロッコ』のストーリーは、[16]で少し紹介した。
デートリッヒをヒロインとしたスタンバーグ作品は、この後も『間諜X27』(1931)、『上海特急』(1932)、『西班牙狂想曲』(1935)と続く。『嘆きの天使』も、ハリウッドで撮られた一連の作品でも、デートリッヒは男を惑わす謎めいたファム・ファタールそのものである。ただし、[13]で紹介したファム・ファタール映画は、女の色香に惑わされる主人公の男の運命に焦点が当てられるのに対し、デートリッヒの一連のハリウッド作品は彼女自身の運命が焦点で、デートリッヒはヒロインではなく主人公である。『モロッコ』では約束された優雅な生活をかなぐり捨てて外人部隊の兵士を追って砂漠へと消えていった。『間諜X27』では、信念をもって引き受けたはずの間諜であったが、敵のスパイを愛ゆえに逃がし、その裏切り行為により自らは銃殺される。『上海特急』は途中はたいへん過酷だが、珍しくハッピーエンドで、昔の恋人とよりを戻す。『西班牙狂想曲』ではファム・ファタールぶりを発揮するジプシーを演じるが、エンディングは『モロッコ』の逆バージョンで、若い男にはついていかず、自分への愛を命をかけて示してくれた昔の中年男のもとに帰る。些細なことかもしれないが、他の映画では歌い声と同様、彼女の声は低いのに、『上海特急』と『西班牙狂想曲』でのデートリッヒの声は高く意外感がある。スタンバーグが監督したここまでの作品は彼女に入れ込んで作られているため、神秘的なファム・ファタールにされている。しかし、公私にわたるスタンバーグとの関係は、『西班牙狂想曲』で終わり、このあとのデートリッヒ出演作は、スタンバーグによって作り上げられた彼女のイメージは維持されるものの、映画の作風はずいぶん違ってくる。
『天使』(1936)は、デートリッヒが夫と愛人とのあいだで揺れ動くシンプルなメロドラマだが、エルンスト・ルビッチが作ると、痴話げんかなどなく、実にスマートに仕上がっている。『砂塵』(1939)は、何と西部劇である。相手役はジェームズ・スチュアートで、彼は保安官代理、そしてデートリッヒは酒場の女主人であり、人気の歌い手である。新しく赴任した保安官が、街の悪人・無法者たちを拳銃を使わずに、かつ法律を遵守して撃退するというストーリーだが、さすがに西部劇を見る人の欲求不満へのサービスであろう、最後の撃ち合いと大乱闘でスカッとさせてくれる。脚本がよく、見ていて話に引き込まれる映画である。『妖花』(1940)でのデートリッヒはやはり酒場の歌い手だが、行く先々で騒ぎの引き金となり、そのたびごとに南海の島々の酒場を渡り歩いている。ストーリーはお定まりのパターンであるが、何と相手役はジョン・ウェインである。『男性都市』(1942)は、映画のタイトルとしてはこなれていない。原題は『Pittsburgh』、言わずと知れたアメリカの重工業を担う大都市である。主人公のジョン・ウェインの役名がこの都市名と同じという設定である。炭鉱夫の彼と親友のランドルフ・スコットは、会社やデートリッヒをめぐり紆余曲折がありつつも、炭鉱労働者からピッツバークの工業を支える会社を作り上げる。エンディングでは、彼らの会社は日本の真珠湾攻撃を受けて軍需物資の生産効率を上げ前線をバックアップする。自由世界を守ることを称える戦時映画である。当時、実生活においても、デートリッヒは、ナチスを徹底的に嫌い、民主主義を守るために男勝りの働きをしていたが、そのことを知ってこの映画を見ると、彼女の実像を見るような気持ちになる。同年に作られた『スポイラース』(1942)は、『男性都市』と同じ三俳優の配役なので、場所をアラスカに、時代を西部劇にしただけの違いだと思って見始めた。しかし、金鉱山の所有権をめぐる物語はたいへんよくできた脚本で進行する。ここでもデートリッヒは、映画を華やかにするお飾りではなく、揺らぐ恋心を抱えつつも男勝りの活躍をする。『黄金の耳飾り』(1947)では、デートリッヒはジプシー役で、南方系のジプシーらしく見せるため最初から最後まで顔を濃く塗っていて他の映画のデートリッヒとは雰囲気がずいぶん違い、別人かと錯覚してしまいそうになる。野性的な仕草も加わり、この顔から二つのことを連想した。一つは、『情婦』で、検事側の証人になるデートリッヒの秘密をたれ込む女(実は役の上でも二人は同一人物)の仕草である。そしてもう一つは、痩せていてモノクロ映像では目が大きく白目だけが強い印象を与えるミシェル・モルガンである。ジャン・ギャバンが気に入り、彼の相手役として『霧の波止場』で大役デビューしたモルガンである。そう、デートリッヒとモルガンは似ている。少なくともジャン・ギャバンにとっては。
[25] ギャバンとデートリッヒ(2022.7.13掲載)
ナチス・ドイツのパリ侵攻は、生粋のパリジャンであるジャン・ギャバンをもハリウッドに行かせることになった。鈴木(鈴木明, 1991 ジャン・ギャバンと呼ばれた男 小学館ライブラリー)によれば、ヒットラーはギャバンにラブ・コールを送ったそうだが、ギャバンは、思想からではなく、人に命令されて映画を作ることがいやで、その要請をはねつけたそうである。そうなれば、もうフランスには留まれない。かといって、アメリカ行きも嫌だったようだが、他に選択肢はなく、仕方なくハリウッドに行った。リスボンからの貨物船を見つけて、ニューヨークに着いたのは、1941年2月だったそうである。まるで映画『カサブランカ』を地で行く体である。鈴木(1991)の説明は、次のように続く。
マレーネ・ディートリッヒがいつジャン・ギャバンの前に姿を現したのか、具体的な資料が残っていないのは、まことに残念である。しかし、この世紀の大俳優ともいうべき二人が、第二次世界大戦を背景にして熱い恋に落ち、それぞれの祖国の名誉まで担ったということは、それだけでも劇的な一大長編になるであろう。それほど二人の愛は伝説に充ちている。年月日まではわからないとしても、デートリッヒがギャバンの前に現れたのが、ギャバンがハリウッドに着いた直後であることは間違いない。デートリッヒは1936年頃にはもう「ハリウッド亡命者委員会」を作って、スイスにその出先機関を設置し、エンゲルという秘密地下工作員を派遣していた。デートリッヒは、ハリウッド歴史始まって以来のインテリ女優であった。そして、「民主主義」を信じ、ナチス・ドイツを心の底から憎んでいた。ジャン・ルノワール、ルネ・クレール、ジュリアン・デュヴィヴィエなどフラスからの亡命者で、デートリッヒの世話にならない映画人は、一人もいなかった。(p.195)
第一次世界大戦のときにララ・アンデルセンが歌った「リリー・マルレーン」を携えて、デートリッヒは連合軍の慰問に出向いた。デートリッヒは生粋のベルリンっ子であるにもかかわらず、祖国よりも民主主義を選んだところなど、確かに強い信念の持ち主である。
ハリウッドに行ったギャバンは、『夜霧の港』(1942)と『逃亡者』(1943)という2作に主演したが、『逃亡者』の撮影が終わると自由フランス軍に志願した。最初の任務は、1943年4月中旬、バージニア州にある海軍基地ノーフォークから護送船エロルンに乗って艦隊を組み、大西洋を渡り北アフリカのアルジェまで石油タンカー群を護送することであった。それは、決して易しい任務ではなかった。当時は大西洋を横断すること自体、容易でなかったし、ドイツ潜水艦が猛威を振るい始めていたからである。ここに示したギャバンの海軍志願の経緯はアンドレ・ブニュヌラン(1987/1995 清水馨訳 ジャン・ギャバン 時事通信社)からの引用だが、より詳しい状況と出征時のデートリッヒとの別れの様子などについては、その本に譲りたい。また、前出の鈴木(1991, p.198-202)にも、当時の事情が書かれている。このように、ギャバンは慣れないハリウッドで2本の映画にしか出演しなかったので、デートリッヒとの共演は実現しなかった。
終戦直後、戦争で荒れ果てたフランスで、二人の共演映画が企画された。デートリッヒはフランス語もしゃべれたので、フランス映画での共演に問題はなかった。しかし、最初の企画はうまくいかなかった。鈴木(1991, p.203-205)にそのあたりの事情が書かれている。その映画は、マルセル・カルネが監督し、カルネとジャック・プレベールが脚本を書いた『夜の門』という作品であった。この作品では、のちにシャンソンの名曲となる「枯葉」がテーマソングとして作られた。黄金の組み合わせとしてうまくいくと思えたが、ロマンチックな内容にデートリッヒが繰り返し変更を希望し、この企画は挫折した。デートリッヒは、こんな時期にはもっとシリアスなドラマにすべきだと主張したのである。終戦直後のすさんだ世の中だからこそ、二人のロマンスを通して見る人に夢をもってもらいたいとの制作者側の意図もわかるが、やはり時代はそれを受け入れなかった。この企画は若いイブ・モンタンが主役を演じ『枯葉〜夜の門〜』(1946)として映画化されたのだが、映画だけでなく、シャンソン「枯葉」も5年間は注目されなかったそうである。
ギャバンとデートリッヒの二人の共演映画は、『狂恋』(1946)で実現した。しかし、この映画の撮影終了とともに、二人の恋愛関係は終わりを迎える。子供もいるのでアメリカを本拠にしたいデートリッヒと、根っからのパリっ子のギャバン、実生活での二人の思いはすれ違ったのである。そのことを知ってこの映画を見ると、映画の中での二人の価値観の違い、愛しているがゆえに許せない相手の言動が、実生活で同時進行しているかのように思えてくる。未亡人のデートリッヒは、田舎町で叔父と小鳥店を営んでいる。そんな彼女に、土地のレンガ職人の頭領のギャバンが夢中になり、お金をもらわず海岸べりに別荘を建ててやり、いずれ結婚するつもりでいる。その好意と誠実さに引かれつつも、社会的に恵まれている領事との再婚話を天秤にかけて生活している。叔父は生活の安定を求めて領事との再婚を望んでいる。そのような人間関係の煩わしさを抱えた中で、ストーリーは進行する。デートリッヒは、その煩わしさから何もかも嫌になり街を出ようと決心して、小鳥たちをカゴから逃がしてやる。ナチス・ドイツから解放されたパリの自由を象徴するようだが、それを見て叔父は、そんなことをすれば鳥たちは死んでしまうと叫ぶ。しかしデートリッヒは、「自由の中で死ねる」と言い返す。荒廃した終戦直後のパリを映しているかのようである。
[26] 戦後のジャン・ギャバン(2022.7.13掲載)
ジャン・ギャバンに関しては、[19]と[25]でも取り上げた。[19]での最後の作品は『陽は昇る』(1939)であり、[25]ではデートリッヒと共演した『狂恋』(1946)であった。40歳を過ぎた戦後も、ギャバンはさまざまな作品でフランス映画の魅力を味わわしてくれる。本項では、それらを見ていきたい。私の手元にある1950年代前半までの作品は、年代順に『面の皮をはげ』(1947)、『鉄格子の彼方』(1949)、『港のマリィ』(1949)、『夜は我がもの』(1951)、『ヴィクトル』(1951)、『愛情の瞬間』(1952)、『快楽』(1952)、『ベベ・ドンジュについての真実』(1952)、『ラインの処女号』(1953)、『彼らの最後の夜』(1953)、『現金に手を出すな』(1954)の11作である。順番に見ていくが、作品数が多いので、この項はかなり長くなる。
『面の皮をはげ』でのギャバンは、実業界での成功者という表の顔をもつやり手だが、20年前は強盗、今もキャバレーとカジノを経営する裏の顔をもっている。表家業では順風満帆だが、裏家業ではあれこれトラブルが生じる。しかし、それらを手際よく有能に処理していくが、ギャング同士の縄張り争いがいよいよ押さえきれなくなり、最後は墓場での撃ち合いで果ててしまう。ボスとしての渋い演技と、昔からの愛人ジゼール・プレヴィルの献身的な支えが趣ある映画にしている。この作品で、『現金に手を出すな』につながるギャバンの渋いギャング映画が始動する。
『鉄格子の彼方』という作品は、中年の純愛ドラマで、撮影地はローマである。戦後の荒れ果てたイタリアでの、貧しくはあるが庶民の滋味が感じられる映画である。なんと言っても、ヒロインの娘の気持ちがいじらしい。
『港のマリィ』は、監督マルセル・カルネ/主演ジャン・ギャバンというコンビから『霧の波止場』(1939)([19]参照)の焼き直しを想像させる。しかし、同世代のこの二人はもう若くなく、戦争で辛酸もなめてきた。今さら「純愛物」の焼き直しは作らない。中年男と成人に達していない小娘マリィとの年の差恋愛である。ギャバンはもう命がけの恋愛などするつもりはなく、マリィは思ったことをずけずけ相手に言い、恋愛の距離感をつかめない。彼女は、親を亡くし弟や妹たちは親戚に引き取られるが、自分はこの港町に残って自活しようと決める。マリィには若い恋人がいるが、彼との距離もうまくとれない。ギャバンの思いと彼女のギャバンへの思いもギクシャクしている。「誠実さ」のない恋愛ゲームのような二人だが、映画はそのまま終わらず、微笑ましいエンディングを迎える。
『夜は我がもの』は、仕事中に視力を失った鉄道員の話である。ギャバンにはもう「純愛物」はないと思っていたが、この映画での恋愛は美しい。投げやりになっているギャバンに、家族は盲人福祉施設で学ぶことを奨める。そこの教師手伝いをしている盲目の娘を演じたシモーヌ・バレルがいい、というか、彼女がいたからこそ、この映画は純愛物になり得た。ともかく、この映画での彼女は魅力的である。
『ヴィクトル』は、日本の古い映画や演劇、たとえば義理と人情の歌舞伎を見ているような気持ちになる。「義理」で恋人への思いを断ち切るなど欧米では考えにくいだろうが、昔の仲間への義理がこの映画のあちこちに見え隠れする。ゆえに、話の進行が読めない楽しさがある。映画は、仲間の罪をかぶったギャバンが刑期を終えて出所するところから始まる。この滑り出しから、暗い物語が予感され、気分が重くなる。しかし、身代わりになってやった友達への配慮が思わぬ事態へつながり、しかも、もう一波乱ある。人間関係のリアリティを保てるぎりぎりのところで、含みのあるエンディングを迎える。
『愛情の瞬間』は、妻の浮気の物語である。医者の夫(ギャバン)と女優の妻(ミシェル・モルガン)、まだ小学生の娘がいる。妻が画家の青年と恋に落ちる。夫がガス自殺を謀ったその青年の部屋に応急処置に行き、妻と青年とのツーショット写真を見つけ、ことが発覚する。問い詰める夫に妻が経緯を語る形で映画は進行する。進行ではあるが、時間は遡っている。日本人の心性に叶う心理的リアリティある映画である。キャスティングで最初にクレジットされるのは今や大女優のモルガン、ギャバンは二番目の共演者である。映画の内容からも、妻が主人公で間違いない。
『快楽』はマックス・オフュルス監督の好きなオムニバス映画。ダニエル・ダリューとギャバンが共演する二番目の話は、3話中最も長い。小さな街で娼婦宿のような店を営んでいる女性が、田舎に住む弟(ギャバン)の家族の娘の初聖体の式に列席するため、店を閉め従業員の女性たちをつれてその田舎に一泊旅行する。フランスはカトリック国で、特に田舎では教会の儀式の習慣が残っている。女たちは、街での現在の生活と田舎での子供の頃の生活との対比に、そして弟のギャバンは女たちの一人(ダリュー)から都会的な女の雰囲気を嗅ぎ取り心を揺さぶられる。
『ベベ・ドンジュについての真実』も、ダニエル・ダリューが主役で、ギャバンは共演である。結婚後10年経って、妻(ダリュー)は夫(ギャバン)のコーヒーに毒(水銀)を入れ殺そうとする。何とか一命を取り留め、医者と相談して牡蠣にあたった中毒として警察沙汰にしないで済ませようとするが、腎臓が回復せず退院できない。なぜ、こんなことをしてしまったのか、意識を取り戻した夫の回想を中心に解き明かされていくが、妻であるべべ・ドンジュの真実は単純でない。この夫婦の感情、夫婦を取り巻く人たちの思惑など、関係者の心理が入り組んで物語は進む。治療に当たる医者の存在にも不気味さがあるが、その理由はだんだん見えてくる。
『ラインの処女号』は、ライン川を上り下りする貨物船の名前である。ギャバンは、ライン川のドイツ領に停泊中のこの船に乗せてもらいフランス領ストラルブールまで行きたいと交渉するが、法律で船員以外は乗せられないと断られる。しかし、船員の一人が出港直前に怪我をし、運良く船員として乗せてもらえる。彼は不思議と船や航路についてよく知っている。映画の前半は、ギャバンをどこかで見たことがあるといぶかるこの船の船員の語りで進行する。ファム・ファタールをキーワードに用いるなら、この男が男性版ファム・ファタールで、他に女性のファム・ファタール(ギャバンの元妻)とギャバンを助ける非ファム・ファタールなる女性(船長の娘)もいる。全員に心理的リアリティがあり、シナリオも面白い映画である。渋いギャバンがすっかり定着している。
『彼らの最後の夜』は、図書館司書長代理から正式な司書長に就任したギャバン、20年前には家庭は貧困ながら医者にまでなったが、違法な堕胎に手を染めたため、別の街で名前を変えて生活している。そこでも能力を発揮して図書館司書長にまでなり、評判のよい宿に住んでいる。しかし、裏で若い仲間を使って強盗を働いており、あるとき銃弾を受けて宿に戻ったところを、新しくその宿に住み始めた若い女性(マドレーヌ・ロバンソン)に見られてしまう。しかし彼女は、全てを飲み込んで傷の手当てをしてやる。彼女もこの街には過去(おそらく夫のDV)から逃げてやって来て、ギャバンに就職の世話をしてもらったこともあり、穏やかな彼に好意以上の気持ちをいだいている。ギャバンは最終的に警察に追われ銃で撃たれるのだが、マドレーヌの手引きでそれまでの何夜かの「最後の夜」を過ごす。ギャバンの口ひげは、彼の特徴ある口の形を隠し、イメージが合わない。途中から変装のために剃ったのは正解である。ロバンソンの上品な微笑みが印象的である。
いよいよ最後の、ギャング映画『現金に手を出すな』である。ギャングと言っても、2、3人の仲間で、ギャバンを中心とする昔からの仲間のギャングと、新手のギャングとの抗争の映画である。抗争は、昔奪われた金塊がギャバンらの仕業だと知った新手のギャングたちがそれを手に入れようとして起こる。彼らは、金塊を奪うため、ギャバンの仲間を誘拐する。誘拐されるようなドジを踏む仲間ではあるが、ギャバンは友情を大切にし、彼と交換に金塊を新手のギャングに渡す。しかし、新手のギャングはギャバンらを抹殺しようとする。[2]で、ヌーヴェル・ヴァーグは嫌いだが『死刑台のメロディー』だけは好きだと書いたが、この映画は新人に近いジャンヌ・モローが出ていること、マイナー調の悲哀感あるテーマソングを用いていることなど、4年後の『死刑台のメロディー』につながる作品だと思う。この映画により、ハリウッドのギャング映画とは趣の違う、フランス・ギャング映画の道筋が作られた。仁義を重んじる日本のヤクザ映画に近いものがある。この映画の邦題は高く評価されているが、奪われたのは「現金」ではなく「金塊」だったので、「お宝に手を出すな」でよかったと思う。ひょっとすると、ギャバンにとって「お宝」とは、ドジな友人だったのかもしれない。
演技を抑えた戦後の渋いギャバンは、老いていく自己の受容でもあった。ずっと主役を張ってきた彼が、共演者にまわり、映画の中でも老いていく自分を認める台詞が語られる。それは、詩的レアリズムの成熟であり、若い世代のヌーヴェル・ヴァーグへの序曲でもある。
[27] ベタほめしたい『カサブランカ』(2022.9.26掲載)
映画の好みは個々人で違っていて当然だが、それでも多くの人が「名作」と認める作品がある。『カサブランカ』(1942)はそういう作品の一つだと思う。本項では、この映画の魅力の理由を探っていきたい。
『カサブランカ』が作られたのは、第二次世界大戦が始まり、ナチス・ドイツがフランスにも侵攻しパリが占拠されているときであった。当然のことながら、当時のフランスで反ナチ映画は作れない。この映画は、ハリウッドで作られたアメリカ映画である。今日のわれわれは、そうした戦時下とは全く異なる状況でこの映画を見るわけだが、それでも、酒場でドイツ兵将校たちがピアノを占拠して我がもの顔にドイツ愛国歌を歌っていたところ、地下活動の指導者ラズロが、勇敢にも指揮をし「ラ・マルセイエーズ」を歌い始め、そこにいた多くの人たちがそれに合わせて歌い演奏するシーンは、フランス人ならずとも胸が熱くなる。こうした「愛国心」が、この映画を感動的な作品にしている要素の一つである。この映画では、「恋愛」も重要な要素である。しかも、「現在の恋愛」と「過去の恋愛」の葛藤が、ありきたりの恋愛映画とは異なる次元に押し上げている。過去の恋愛が再び燃え上がりかけたとき、恋人を現在の恋愛に譲るという男気も、見る者をしびれさせる。リック(ハンフリー・ボガート)とイルザ(イングリッド・バーグマン)が「過去の恋愛」、ラズロ(ポール・ヘンリード)とイルザが「現在の恋愛」である。「友情」もまた、重要な要素である。ベタベタした友でなく、取り締まる側のルノー警察署長(クロード・レインズ)と取り締まり対象のレストラン経営者リックの、むしろ敵対関係にある者同士が、心のどこかで引かれ合っている友情にはクールさがある。そして、この映画で何よりも重要なのは、脇役に至るまで登場人物の個がしっかり描けている点である。[20]でも紹介した、パスポートを違法に売ろうとするピーター・ローレの緊張感と怯え、昔からリックのもとで仕事をし、ビアノをひきながら「As time goes by」を歌うサム(トーリー・ウィルソン)のリックとイルザの板挟みになったときの戸惑いと誠実さ、リックの商売敵の有力者フェラーリ(シドニー・グリーンストリート)のこの町で商売を続けるための状況を飲み込んだ対応ぶり、そして何よりルノー警察署長の二枚舌的対応である。
ハリウッド映画『カサブランカ』に匹敵する作品をフランス映画から探すなら、『大いなる幻影』(1937)であろう。監督ジャン・ルノワール、脚本がルノワールとシャルル・スパーク、主演ジャン・ギャバンとくれば、「名作」の条件は整っている。制作されたのは、やはりナチス・ドイツが台頭しヨーロッパに暗雲が立ちこめ始めているときで、『カサブランカ』と同じく対ドイツ戦に関わる映画である。しかし、まだ第二次世界大戦は始まっておらず、この映画の舞台は第一次世界大戦である。その分、戦争に対する扱いがのどかである。鈴木(1991、前出)によれば、最初に作られたこの映画の脚本では、フランス空軍の飛行機がドイツの飛行機に撃ち落とされ、搭乗していた二人のフランス軍将校がドイツ軍の捕虜となるが、捕虜収容所からその二人が脱走する筋立てだったそうである。このシナリオの面白さは、二人の将校が庶民出身のマレシャル中尉(ギャバン)と貴族出身のボアルデュー大尉(ピエール・フレネ)で、二人は事ごとに考えや行動を異にするのに、脱走し協力していく中で「友情」が膨らむというプロットと、その二人が脱走途中ではぐれる前に、戦争が終わって生きて帰れた曉には日時と場所を決めて再開しようと約束するが、二人はともそこに現れないという謎を投げかける映画の終わり方だったそうである。ところが、ある大物が出演者に加わったことで、このプロットが大きく変更されてしまう。その人物とは、伝説の映画監督であり俳優でもあったウィーン生まれのエリッヒ・フォン・シュトロハイムである。彼は、ルノワールからもギャバンからも一目置かれる映画人であった。彼が捕虜収容所の所長として加わったことで、捕虜になったフランス人側だけでなく、ドイツ軍側にもスポットが当てられることになる。国こそ違うが、同じく貴族出身で職業軍人である収容所所長は、ボアルデュー大尉に特別の礼儀と配慮を尽くす。その礼に応じるため、ボアルデュー大尉は自らは脱走に加わらず、命を犠牲にして脱走する二人の逃亡を助ける。脱走する二人は庶民のマレシャル中尉とユダヤ人のローゼンタール中尉に変更され、二人協力して逃げていく中でユダヤ人へのマレシャルのネガティブな感情が「友情」へと変わっていく。このような変更を経て公開された『大いなる幻影』は「名作」の誉れ高い作品となった。しかし私は、貴族・庶民・ユダヤ人という社会的階層をステレオタイプ的記号として利用する作品より、個をベースにした『カサブランカ』の方が好きである。また、シナリオ変更のため自転車操業的に継ぎ接ぎされた残骸が残っている点も、『大いなる幻影』の質を下げていると思う。たとえば、脊髄を痛めている捕虜収容所所長の首の輔助具(シュトロハイムが考案したそうである)が映画の途中から加えられる点や、シーンの切り替えのぎこちなさなどである。こうした意味で、私の中では、「名作」『大いなる幻想』より「名作」『カサブランカ』の方が「名作」である。
両作品とも戦争に関わる映画なので「愛国心」が重要な要素であったが、そうでない映画の場合、「愛国心」は必要な要素とならない。それに対し「単純でない恋愛」「次元の高い友情」は脚本のうまさとスマートがあって実現されるものだと思う。そして何より、個がリアリティをもってていねいに描かれていること、それをうまく表現する演技力をもった俳優が配されていることが「名作」の条件だと思う。
[28] やんちゃで執念深いビリー・ワイルダー(2022.9.26掲載)
私の好きな映画監督は、ウイットに富んだ洒落っ気のある人ある。重い内容をくどく表現することなく、サラッと扱える人である。ビリー・ワイルダーはそういう監督の代表だと思う。彼は、他の監督の二番煎じを良しとせず、まわりと衝突することをいとわず、自分流の作品を作ることに執着した監督である。とは言え、映画監督は一生のあいだに何本、何十本と作るので、どの作品も同じトーンではつまらないし、監督自身も似た映画ばかり作ろうとはしないはずである。むしろ、これが同じ監督の作品かと疑いたくなるほどの広がりがあってほしい。私にとってビリー・ワイルダーこそ、そういう監督である。
ワイルダーは、のちに『情婦』(1958)・『アパートの鍵貸します』(1960)・『ワン・ツー・スリー』(1961)などで、ウイットに富んだ洒落た映画を多く作るが、初期には『深夜の告白』(1944)や『サンセット大通り』(1950)など、シリアスな作品も多く作っていた。脚本家出身の監督だけに、自分が監督した作品ではワイルダー自身が脚本も担当した。ただし、脚本には舞台劇や小説などの原作があり、かつ一人ではなく共同で脚本を書く人が必要であった。ワイルダーが脚本を常に複数で書いた最大の理由は、ドイツ語ネイティブの彼にとってこなれた英語での脚本は書けなかったからである。加えて、複数で書くことで、脚本家同士衝突することも多かっただろうが、視点が広がり独りよがりを修正することができた。
ビリー・ワイルダーは、監督になる前に脚本を何十本も書いており、特にチャールズ・ブラケットと組んだ脚本は高い評価を得ていた。そんな彼がどうして監督になることになったのか、モーリス・ゾロトウの『ビリー・ワイルダー・イン・ハリウッド』(河原畑寧訳 1977/1992 日本テレビ出版)の記述を見ていこう。
ビリーは決心を固めた。これからコンビで書いた脚本は、自分が監督する。ブラケットはプロデューサーをやればいい。もはや俳優のわがままと監督の鈍感さにふり回されるのはご免だ。ブラケットはこの計画に乗り気でなかった。プロデューサーの責任を引っかぶるのはまっぴらだ。ブラケットは、ビリーには監督に必要とされる冷徹さと忍耐力が足りないと思っていた。彼[ビリー]はハンドルから手を放す。すぐにかっとなる。血気にはやる。いうことに棘がある。他人をからかい過ぎる。このチャーリー[チャールズ・ブラケット]に対してもひっきりなしにいたずらをする。彼はしょっちゅうチャーリーにひどいことをいう。ねちねちといじめを続ける。ついにチャーリーの怒りが爆発する。呪詛を浴びせ、それがネタ切れになるとものを投げつける。重いものも投げる、電話帳、インクスタンドに屑かご。チャーリーは、本気でビリーの頭を狙って投げつけるのだ。(p. 136)
大げさなようだが、ここに書かれていることは、脚本家時代だけでなく、監督になってからのビリーの実像も的確に示している。「俳優のわがままと監督の鈍感さにふり回される」ことについて、次のようなエピソードが紹介されている。シャルル・ボワイエ主演の映画の脚本を担当したとき、ビザが下りずにホテルで無為に何日も過ごしているボワイエを描くため、無精髭を生やしてベッドに寝そべっているボワイエに、壁を上っていくゴキブリをステッキで追いゴキブリ相手につぶやくシーンを作ったが、監督にそのシーンがカットされてしまう。カットの理由は、ボワイエがそのシーンを嫌がったからだという。ビリーはボワイエにねじ込もうとしたが相手にしてもらえない。何日もかけて考えた自慢のシーンをカットされたことで激しやすいビリーはカンカンに怒り、執念深さを発揮する。「あのくそ野郎がゴキブリ相手に台詞をいえないんなら、台詞をやらなきゃいいんだ。後半は徹底的に[相手役の]オリヴィア・デ・ハヴィランドに花を持たせてやろうぜ」(p. 135)とブラケットと企むやんちゃぶりである。監督になってからもビリーは、チャーリーの指摘どおり「すぐにかっとなる。血気にはやる。いうことに棘がある。他人をからかい過ぎる」が収まらない。まわりのスタッフはさぞたいへんだっただろう。チャーリーとの喧嘩も同様で、最高のコンビであったはずの二人の脚本作品も、1950年の『サンセット大通り』で終わることになる。ワイルダー自身は、チャールズ・ブラケットと共同して脚本を書かなくなったことの開放感を肯定的に捉えているが、『サンセット大通り』よりあとの作品はシリアスさとコミカルさの調合が絶妙ではなくなっているように思う。
日本映画界で脚本の共同執筆と言えば、小津安二郎と野田高梧のコンビが思い浮かぶが、彼らはビリーとチャーリーのコンビとは全く違っていた。毎年のように松竹が用意した茅ヶ崎館の同じ部屋に何ヶ月間もこもって共同生活をし、脚本を仕上げていった。もちろん、脚本をめぐってぶつかり合うこともあっただろうが、小津と野田は仲の良いコンビであった。
[29] ビリー・ワイルダーのシリアス・ドラマ(2022.9.26掲載)
前項で書いたように、ビリー・ワイルダー監督作品は、『サンセット大通り』までとそのあとではトーンがかなり違う。本項では、脚本をチャールズ・ブラケットと共同で書いた『サンセット大通り』までのシリアス・ドラマを中心に見ていきたい。実は、その時期の作品のDVDを、私はほとんどもっていない。だが、制作されてから70年が経過しパグリック・ドメインになっていることから、多くをアマゾン・プライムで視聴することができる。『少佐と少女』(1942)、『熱砂の秘密』(1943)、『深夜の告白』(1944)、『失われた週末』(1945)、『皇帝円舞曲』(1948)、『異国の出来事』(1948)、『サンセット大通り』(1950)と7作もある。順に見ていくが、この項も紹介する作品数が多いので、かなり長くなる。
『少佐と少女』は、ビリー・ワイルダーが初めて監督したハリウッド作品で、コミカルさが前面に出ている。都会生活がうまくいかず、田舎に帰るだけのお金を常に身につけて仕事している若い女性が、いよいよ仕事が嫌になり田舎に帰るため駅に行くが、運賃が値上がりしていてお金が足りない。そこで、子供料金で乗車したことから奇想天外な物語が展開していく。ウイットに富んだ楽しい作品だが、メロドラマの域を出ない。
『熱砂の秘密』(1943)は、北アフリカ戦線で「砂漠の狐」との異名をもつドイツ軍ロンメル将軍の戦車部隊にまつわるストーリーである。ただし、闘いそのものの場面はない。制作費を潤沢に使える力がまだなかったのかもしれない。史実では、ロンメルの侵攻が退却に転じ始めるのは1942年6月からなので、1943年の公開当時にこの映画を見ていたアメリカ人には、まるで戦争と同時進行するニュース映画を見ているように思えたかもしれない。江戸時代の歌舞伎も、実際に起こった事件に関する噂が冷めないうちに舞台に仕立てられた狂言があったが、そうしたノリなのであろう。ワイルダー自身、ユダヤ系であったことから、1933年フランスに亡命し、そのあとアメリカに渡りハリウッドで、あのピーター・ローレ([20]参照)と共同生活しながら下隅生活を送った。また、家族も虐殺されている。そのため、ナチス・ドイツを憎む気持ちは人一倍強いはずだが、この映画では、ドイツ軍のみならず、英国軍の無能さも皮肉たっぷりに表現されている。
『深夜の告白』については、ハリウッド映画の代表的フィルム・ノワール作品としてすでに何度か取り上げたので([13][22]参照)、内容については言及しない。ここで書いておきたいことは、のちの『サンセット大通り』まで続くチャールズ・ブラケットとの脚本コンビが、この一作だけは実現しなかった事情である。プロデューサーのシストロムから渡された原作『倍額保険』(ジェームズ・M・ケインの小説)を2時間もかからず読み終え気に入ったワイルダーはそれを読むようにチャーリーに渡したが、チャーリーは内容が気に入らない。保険金殺人がテーマであることに、彼は「卑しい動機からあらゆることが発展していく、そんなけがらわしい作品とは関わりたくない」(カラゼク, 1996, p.285)と言ったそうである。代わって、プロデューサーのシストロムは、当時ハードボイルド作家であったレイモンド・チャンドラーをビリーの共同脚本家として採用した。作家として、またのちには脚本家として多くの作品を残したチャンドラーだが、この作品でのワイルダーとの共同作業はさんざんなものであった。当然のこととして、二人の共同作業はこの一作で終わる。カラゼク(1996)には、ワイルダーと共同作業を始めたときのチャンドラーを、「過酷な過去とアルコールでぼろぼろになり、行く先を見失った56歳の世捨て人」(p.288)と表現されている。意地悪で執念深いワイルダーは、そのようなチャンドラーを容赦しなかった。しかし、レイモンド・チャンドラーとの共同作業によって、質の高いシリアス・ドラマが生まれたのも確かである。
『失われた週末』は、アルコール中毒の売れない作家が主人公である。まるで、前作『深夜の告白』で脚本を一緒に書いたチャンドラーを皮肉るような内容だが、この作品にも原作がある。また、脚本コンビとして復活したチャーリー(ブラケット)も、アル中と無縁でなかった。ゾロトウ(1992)によれば、「彼[チャーリー]は、アル中と縁が深く、友達がアル中、妻がアル中、アル中の友にして救済者という役どころを生涯にわたって続けることになった」(P.192)とある。『失われた週末』は、作中で主人公が小説の構想をバーテンダーに語る内容と、物語の進行とを混在させているが、二人の脚本家にとっても、脚本内容と現実とが混在する作品となった。兄に付き添われて、田舎でアルコールを絶って療養し小説を書く予定だった週末を、酒に溺れてすっぽかしてしまうことからこのタイトルとなった。
『皇帝円舞曲』はワイルダー唯一のミュージカルという点で興味はあるが、カラー作品なので「モノクロ映画の世界」に当たらず、取り上げないでおく。
『異国の出来事』は邦題がいくつかあるようなので、原題が『A foreign affair』であることを書き添えておく。第二次世界大戦終了後のベルリンでロケが行われた。戦争で破壊されたこの街の映像が印象的である。オーソン・ウェルズの『第三の男』のロケ地ウィーンの映像より荒廃ぶりが凄い。マレーネ・ディートリッヒは、例によってクラブで歌う歌手である。彼女は実生活ではナチスを心底憎んでいたが、よりによってゲシュタポの生き残り幹部の愛人という役どころである。この作品でデートリッヒがクラブで歌う曲は、渋くてよい。連合軍占領下のベルリンという暗い舞台だが、ビリーとチャーリーのコンビは、洒落た作り方を忘れていない。
『サンセット大通り』は、中年を過ぎたハリウッド無声映画時代の大女優が、大女優としての復帰を夢想して隠遁生活をおくっている豪邸に、借金取りに負われた売れない脚本家が逃げ込んでくるところから物語が始まる(映画はその脚本家が豪邸のプールに死体となって浮かんでいるところから始まる)。ワイルダーは、作品中の話と現実に体験したこととを結びつけるのが好きなのか、あるいはうまいのか、この作品にも無声映画時代のハリウッド大女優役に、そのままの経歴をもつグロリア・スワンソンを当て、ハリウッドのパラマウント・スタジオで実際に撮影中のセシル・B・デミル監督や、豪邸内でのカード遊び仲間にバスター・キートンなどを本人役で登場させている。「させている」と書いたが、実際にそのような大物に出演してもらうことや、映画業界の身内ネタを皮肉たっぷりに描くことなど、よほど力があるか、傍若無人な厚かましさがないとできない。おそらくヒット作を連発していた当時のワイルダーは、大きな顔で好き勝手していたのであろう。当時の関係者は、ヒヤヒヤものか、苦い顔で見ていたに違いない。しかし、今日のわれわれは、ワイルダーの勝手さのお陰で、『サンセット大通り』という凄まじい作品を享受することができる。この作品には、さらにもう一人、エリッヒ・フォン・シュトロハイムがスワンソン邸の執事として起用されていた。無声映画時代のハリウッド監督でスワンソンのかつての夫であった人物が執事をしているという役どころである。やはり、現実と役の上での彼を混同してしまいそうになる。
このあと、チャールズ・ブラケット以外の脚本家と組んで、『第十七捕虜収容所』(1953)、『麗しのサブリナ』(1954)、『七年目の浮気』(1955)、『昼下がりの情事』(1957)、『情婦』(1958)、『お熱いのがお好き』(1959)、『アパートの鍵貸します』(1960)、『ワン、ツー、スリー』(1961)とヒット作を連発し続ける。『第十七捕虜収容所』と『情婦』を除けば、あとはコメディーである。『第十七捕虜収容所』はドイツの捕虜収容所に収監されているアメリカ兵の話で、収容所の汚い部屋と泥沼の敷地しか出てこない映画なのに、暗すぎずスリリングな作品に仕上げられている。
[30] ビリー・ワイルダーと出会うまでの師匠エルンスト・ルビッチ(2022.9.26掲載)
ワイルダーは1906年、ドイツ語圏で生まれた。脚本家としてハリウッドで活躍し始めるのが1930年前後で、トーキー映画の初期である。そんな彼には尊敬する師匠がいた。1892年ベルリン生まれのエルンスト・ルビッチである。カラゼク(前出、 p.183)によれば、ワイルダーのオフィスの正面の壁には、「ルビッチならどうしただろうか?」という言葉が掲げられていたそうである。また、カラゼクは「ルビッチはヨーロッパとハリウッドとを両立しえた最初の人」「誰の目にも明らかなその軽やかさは、いささかも深さを装う必要がない。なぜなら、すでにそこには深さがあるからだ」「[間接的な表現方法は]直接的表現よりはるかに明確で、快くかつ見事に情報を伝達する。ルビッチ作品で特徴的なのは、もっとも重要な出来事は閉じられたドアの向こう側で起こるということだ」とも記している。のちのワイルダー作品を見ると、彼がいかにルビッチを尊敬していたかがわかる。
ワイルダーとルビッチの出会いは、ルビッチが監督した『青髭八人目の妻』(1938)で、ワイルダーとブラケットが共同脚本を担当したときであった。本項では、ワイルダーと出会う以前のエルンスト・ルビッチの監督作品を見ていきたい。ここでも、アマゾン・プライムのお世話になった。時間を遡るほど、パブリック・ドメインの恩恵を受けやすく、視聴できる作品が多かった。ルビッチ監督作品で視聴できたのは、『結婚哲学』(1924)、『ラブ・パレード』(1929)、『陽気な中尉さん』(1931)、『極楽特急』(1932)、『私の殺した男』(1932)、『生活の設計』(1933)、『天使』(1937)、『青髭八人目の妻』(1938)、『ニノチカ』(1939)、『桃色の店』(1940)、『生きるべきか死ぬべきか』(1942)と11作品もあった。11作全部を紹介すると長くなりすぎるので、本項ではワイルダーとブラケットが脚本で加わる『青髭八人目の妻』より前までの作品を見ていきたい。
『結婚哲学』は85分の無声映画である。無声映画でこれほど長い時間をもたせるには、画面に現さないところでの情報伝達や、見ている人たちを退屈させない軽妙さが不可欠である。ルビッチは無声映画を10本も作っていく中で、「ルビッチ・タッチ」と呼ばれるようになる技を洗練させていった。この作品では、二組の夫婦と親友が絡んで、夫婦の信頼や友情がいかに危ういかを、画面に現れない部分での観客の想像力を生かしてユーモラスに描いている。
『ラブ・パレード』は、ルビッチ最初のトーキー映画であると同時に、シネ・オペレッタでもある。主演は、モーリス・シュバリエ。ルビッチに限らず、トーキー最初期の作品は、台詞中心のドラマよりも、『ジャズシンガー』(1927)や『なつかしいケンタッキーの我が家』(1926)など、シネ・オペレッタやアニメーションが好まれた。それにはいくつかの理由が考えられるが、一つには、素早い台詞で映像と発話音声を完全に同期させるのが難しかったからではないだろうか。映像フィルムはパーフォレーションを掻き落とす断続運動、それに対し音声は一定スピードの等速運動で、しかも掻き落としにはフィルムの遊びが必要なため、映像と同じフィルム上に光学的に焼き付けた音声を映写時に完全に同期させることは難しい。そのため、正確なリップシンクを必要としない音楽や歌、口パクのアニメーションが好まれたのでないだろうか。『ラブ・パレード』は、ある国の王女と遊び人の伯爵との他愛ないラブ・コメディで、映画はハッピーエンドで幕引きされる。しかし、見る人は「現実はこうはいかないよ」という夫婦関係の難しさとペーソスを感じるに違いない。二年後に作られた『陽気な中尉さん』もシュバリエ主演のシネ・オペレッタで、遊び人の伯爵が陽気な中尉さんに代わっただけで、途中に目をつむれば、同じくハッピーエンドとなる他愛ない夫婦の物語である。『極楽特急』は、お金持ち相手の泥棒とスリのカップルの話で、原題の『Troubles in Paradise』(楽園でのトラブル)の方がストーリーをよく表している。二人は会社を所有する金持ちの未亡人に目をつけて、彼女の秘書に入り込むが、男の方の泥棒がその未亡人と愛し合うようになる。その楽園で、泥棒であることがトラブルとなり、泥棒は未亡人に未練を残しつつ、スリの女と二人で楽園から逃げだす。
『私の殺した男』は、一転して重くシリアスなドラマである。第一次大戦中、主人公のフランス兵は塹壕に残るドイツ兵を撃ち殺す。戦争が終わってもそのドイツ兵の目が頭から離れない。ドイツ兵が虫の息で書いた手紙の署名に手を貸したことでドイツ兵の住所を知っていたことから、主人公のフランス兵は彼の家族に謝りに行く。いざ両親と死んだドイツ兵の婚約者に会ってみると、自分が殺したとはとても言えず、友人だったと偽る。三人は、まるで息子が帰ってきたかのように彼を歓待してくれるので、ますます本当のことを言いそびれてしまう。しかし、署名を手伝った最期の手紙が婚約者に届いていて、その手紙を見せられたとき、婚約者に本当のことを語らずにいられなかった。ところが、本当のことを知った婚約者は、両親の気持ちを守りたい(?)という理由で、主人公がこの家にとどまるつもりだと両親に告げる。これは決してハッピーエンドではく、彼はこれからイバラの道を歩むことになるのだろう。
『生活の設計』は、パリで修行中の劇作家志望(フレデリック・マーチ)と画家志望(ゲーリー・クーパー)の二人が同時に一人の女性を愛してしまい、女性も二人の青年をともに手放せない。そこで、二人の青年は紳士協定を結び、女性の方も(二人を同時に愛するなんて)女ではなく男になった気持ちだと言って、セックスなしの約束のもと、三人の共同生活が始まる。女性は「芸術家の母になったつもり」で二人を叱咤激励し世に出そうとする。その甲斐あって劇作家の方が先にブレークし、舞台準備のためしばらくロンドンに行く。その間に画家志望の青年と男女の関係になり、それを知った劇作家の男性は激怒する。今度は、画家がブレークし、お金持ちの婦人の肖像画を描くためにパリを離れ、その間に残った二人に同じことが起こる。あげく、女性は二人をおいて姿を消すが、話はそこで終わらず、結局、三人の共同生活から始まった物語は、紆余曲折あって、三人仲良く身を寄せるエンディングとなる。しかし、これでは元の木阿弥で、素直にハッピーエンドとは言えない。ルビッチがリアリティをもって描きたかったのは、三人ではうまくいかない「途中経過」であろう。
『天使』は、[24]でも少し紹介したが、マレーネ・ディートリッヒが主役のメロドラマである。ルビッチは、男二人と女一人の三角関係、そして男同士が知り合いという設定を好む。革命後に亡命してきたロシア大公妃がパリで営む高級娼婦の館(サロン)に、その大公妃と旧知の女性(デートリッヒ)が相談に訪れる。おそらく、英国の外交官である忙しすぎる夫とのすれ違いについての悩みを相談したかったのだろうが、その相談がなされる前に、デートリッヒはサロンにお客として初めて訪れた男性と出くわし、夕食をともにする。お互いに引かれつつも、デートリッヒは一週間後に逢う約束(?)をして名前を告げることも避けて姿をくらます。デートリッヒの夫を加えた三角関係となるが、二人の男性は見知らぬ他人同士ではなく、実は若い頃、戦場で出会った友人であったことがわかり、外交官の夫は友を自宅に招待する。ここから物語は佳境に入るわけだが、ルビッチは、いきなり不倫の二人が顔を合わせて驚いたり、痴話げんかが始まる修羅場を好まない。顔を合わせる直前に、妻は夫から、招待した友がパリで会って名前も知らず「天使」と呼んでいた女性と恋に落ちたことを聞かされており、また友の方は、招待された邸宅で婦人の写真を見て、会ったときには二人とも何食わぬそぶりを繕う。難しい「途中経過」があり、大団円は、一週間後に逢う約束(?)をしたパリに現れたデートリッヒ、そこに夫も現れる場面である。修羅場とはならす穏やかなエンディングを迎えるのだが、ここでもルビッチは「途中経過」こそリアルとみている。この映画でのデートリッヒは、女性としてすごく魅力的である。スタンバーグが監督した作品でのデートリッヒは、女性性だけでなく、神秘的な強さ(男性性)があった。それは、スタンバーグがデートリッヒを愛し憧れていたからだと思う。そうした強さを剥ぎ取られたこの映画でのデートリッヒは、映画を見ている男性には保護欲求を抱きたくなる魅力がある。女性観客にどう映るかはわからないが。
エルンスト・ルビッチの映画は、娯楽映画の文法であるかのように、ハッピーエンドで締めることが多い。しかし、途中経過の人間関係は、軽妙なコメディー・タッチのオブラートに包まれているもののかなりシビアである。彼が表現したいことはその途中経過にこそあった。カラゼク(1996)にはワイルダーが語ったこととして、「ルビッチの映画と彼の私生活との奇妙な符合があること、隠されているおどろくべき関連性、しかも納得のできる関連性—あたかも鏡に映したかのような—があることが見てとれる」(p.186)と解説されている。ルビッチは二度の離婚や家族ともどもナチスに追われる苦難を体験している。彼の作品のシビアな「途中経過」はそういう実生活を反映しているのかもしれない。
[31] ビリー・ワイルダーが脚本を書いたルビッチ作品(2022.9.26掲載)
ルビッチが監督した映画でワイルダーが初めて脚本を書いた作品は、『青髭八人目の妻』(1938)であった。このときも、相棒ブラケットとの共同脚本であった。ルビッチの続いての映画『ニノチカ』(1939)でもワイルダーとブラケットが脚本を担当した。しかし、まもなくルビッチが病に倒れたこともあり、ルビッチと二人の脚本家のタッグは、結局、この二本で終わった。
『青髭八人目の妻』からみていこう。このタイトルは、古い伝説をもとに書かれた戯曲をベースにしていることに拠っている。もとの話では、青髭という大金持ちの男が妻を次々に殺し、八人目の妻を娶ることから始まる物語だそうだが、この映画では、大金持ちの男が七回離婚を繰り返し、デパートで出会ってパジャマの上と下とを分け合って購入した女性を即座に好きになり、八回目の結婚を申し込むところから始まる。いわゆるスクリューボール・コメディと言ってよい内容だが、ルビッチ・ワイルダー・ブラケットの常識にとらわれないシャレが効きすぎて、一見するとリアリティが全くないハチャメチャな作品である。公開当時は失敗作と評されたそうだが、三人の悪乗りが過ぎていて、その評価もやむを得なかったと思う。しかし、カラゼク(1996, p.190)は、この映画を次のように評している。今日では、「ルビッチ・タッチ」の傑作と見なされているが、一方では「ワイルダー・タッチ」の加えられた最初のルビッチ映画でもあった。
私は、この映画はハチャメチャすぎてあまり好きではないが、おとなしくまとまりかけていた「ルビッチ・タッチ」がワイルダーと出会って行くところまで突き進んだ実験映画と見るなら、その意義は大きいと思う。映画冒頭で、パジャマの上と下をそれぞれ買いたい二人がたまたま出会う「ボーイ・ミーツ・ガール」というワイルダーのアイデアをルビッチが大いに気に入ったことから、ルビッチとワイルダーの波長が共振してハチャメチャな展開になったのであろう。
監督ルビッチと脚本家ワイルダーそれぞれにとっての次の作品も、二人がタッグを組んだ。もちろん、ブラケットも一緒である。しかも、主演女優はグレタ・ガルボである。ガルボは、のちに改めて取り上げたい人だが、ここでの『ニノチカ』は、ルビッチやワイルダーにとってはお手の物の皮肉の効いたラブ・コメディである。しかし、神秘の女優ガルボにとってはまさかコメディだったのではないだろうか。ガルボは、この映画の二年後、『奥様は顔が二つ』(1941)を最後に35歳で映画界を引退することになる。
[32] ルビッチを敬愛したもう一人の映画監督:小津安二郎(2022.10.16掲載)
日本にもルビッチを敬愛する映画人がいた。第二次世界大戦のさなか、本来なら敵国であるアメリカ映画に接する機会などなかった時代、小津は軍隊に徴用され国策映画を作ることを求められていたが、のらりくらりと先延ばしにし、シンガポールで日本軍がイギリス軍から押収したアメリカ映画を百本以上も見ていたという。リチーの『小津安二郎の美学』(山本喜久男訳1974/1978)もそのことに言及しており、見ていた映画の作品名を次のように紹介している。
当時シンガポールにいた吉村公三郎の回想によると、小津が見た映画はジョン・フォードの『駅馬車』『怒りの葡萄』『タバコ・ロード』『わが谷は緑なりき』、キング・ヴィダーの『北西への道』、ヒッチコックの『レベッカ』、ウィリアム・ワイラーの『西部の男』『偽りの花園』、ディズニーの『ファンタジア』、フレミングの『風と共に去りぬ』であった。(リチー, 1978 p.325)
ここにはルビッチ作品は挙げられていないが、百本の中にルビッチ映画が含まれていたかどうかはさほど重要でない。なぜなら、小津がルビッチを知り、ルビッチ・タッチなる手法を学び自作に取り入れていたのは、それ以前であったからである。昭和8年1月の『キネマ旬報』に掲載された座談会記事で、司会からの「一番好きな外国の監督者は?」との質問に対し小津は次のように答えている。
エルンスト・ルビッチュです。監督者としてのルビッチュの偉さについては、例えば、こんなところにも判ります。即ち、僕なんかだと、人物が3、4人いて、そのうちの1人が靴の先で床なら床を叩くところがあるとすると、直ぐその男の靴の先で床を叩く大写をその間に挿入しなければ気が済まないのですが、ルビッチュあたりになると、4人なら4人の人物を全部ロングのうちに収めて、その中で芝居をさせながら、しかもそのうちの1人が靴先を叩く姿が、ハッキリと僕達に感じられるような監督ぶりなのです。大写なんて、余程の場合でないと用いないのです。そんな大写など使わないで、使った以上の効果を出すのだから凄いものです。(和田山滋, 「小津安二郎との一問一答」)
昭和8年当時、小津はまだサイレント映画を撮っていたが、[30]で見たようにルビッチはすでにトーキー映画を何本も監督していた。小津は上の引用文に続き、ルビッチの映画で一番好きなのは『私が殺した男』(1932)([30]参照)だと語っている。このことは少し意外で、小津はルビッチのコメディーのユーモラスな表現をサイレント時代の自作に取り入れているのに、全編シリアスな『私が殺した男』が一番好きだという。[30]において私は、ルビッチ作品では終わり方はハッピーエンドだが、軽妙なコメディー・タッチのオブラートに包まれているものの途中経過の人間関係はかなりシビアだと書いた。また、ルビッチが本当に表現したいことはその途中経過にこそあると書いた。小津の戦前のサイレント映画も戦後のトーキーも、家族をはじめ日常の人間関係の難しさが作品に底流していることを考え合わせると、ルビッチからユーモラスな表現技術だけでなく人間関係の難しさの描き方も学んでいたと思う。
内容のしんどさから、戦前の小津作品は娯楽映画として多くの観客を動員することはなかった。にもかかわらず、小津が松竹撮影所で幅をきかせたのは、興行的には奮わなくても批評家から高い評価を得ていたからである。戦前のサイレント映画では、1932年の『生まれてはみたけれど』から『出来ごころ』『浮草物語』と、3年連続キネマ旬報第1位となった。戦後のトーキー作品も、『晩春』『麦秋』が第1位、『東京物語』は第2位であった。プロの目は、小津映画の芸術性の高さを評価したのである。それは時間の経過とともに、国内だけでなく国際的にも評価されることになった。
しかし、巨匠小津の作品と知らずに彼の映画を見ると、ネガティブな印象も強いはずである。この点に関して、浜野(1993)にはトリュフォーの言葉として、以下のような見解が紹介されている。
「いつもテーブルを囲んで無気力な人間たちが座りこんでいるのを、これも無気力なカメラが、無気力にとらえいている。映画的な生命の躍動が全く感じられない」。1965年、フランスの映画監督フランソワ・トリュフォーが、小津安二郎の作品は嫌いだ、小津の映画は死んだ映画だと断定して、語った言葉だ。(浜野保樹, 1993「小津安二郎」岩波新書 p.19)
トリュフォーほどの巨匠をしてこう言わしめるわけで、映画に娯楽性とスペクタクルを期待する一般観客の抱く印象は、推して知るべしである。上の引用文に続けて、浜野(1993)は、次のように付け加えている。
[上記は]初めて小津作品に接した者が、若者や外国人に限らず、共通して述べる感想である。比較的見る機会が多い、戦後の作品に関する限り、どの作品も同じで、どれも変わりばえがしないように見える。同じ俳優、同じカメラアングル、同じ構図、同じようなゆっくりしたテンポ、同じような内容、そして同じような題名。同じものの反復だけということになる。『晩春』『麦秋』『早春』『彼岸花』『秋日和』『小早川家の秋』『さんまの味』『東京の合唱(コーラス)』『東京の女』『東京の宿』『東京物語』『東京暮色』。舞台はいつも東京、ならびにその郊外。東京が現れない作品はきわめて少ない。なにもかもが同じように見えるので、題名と内容が結びつかなくなる者が多い。(浜野, 前掲書, p.20)
言い得て妙、小津映画に対する誰もが抱く印象である。問題は、このような小津映画がなぜ高く評価されるかである。
戦前のサイレント映画では、小津は人生の辛い面をシリアスに描いていた。そのような作品でも批評家たちによって『キネマ旬報』上位の常連になっていた。ただし興行的には、暗く重い映画のせいか、あまり奮わなかった。それに対し、戦後のトーキー作品は、興行的にも成功し、小津は松竹でますます一目置かれる存在となった。その理由として考えられるのは、「今が一番いい時かもしれない」との台詞に象徴されるように、ライフサイクルにおけるポジティブな面に焦点を当てることることに方針転換したからだと思う。そして私たち世代の日本人にとっては、子供の頃の日本の風景、家族や社会に対する当時の日本人の心遣いのあり方などを懐かしく思い出させてくれる。
もちろん、小津映画の魅力は、ノスタルジックな懐かしさだけではない。上で引用した浜野(1993)は、小津映画を否定したトリュフォーも来日した折りに前言を翻し、「[小津の戦後の映画を連続して見て]得も言われぬ魅力の虜になった」と述べたと紹介している。「得も言われぬ」とは文字どおり言葉に表せないという意味なのか。次項では小津のトーキー作品を見て、小津映画の魅力を私なりに言語化する努力をしてみたい。
[33] 小津安二郎の戦後のモノクロ映画(2022.10.16掲載)
実は、私は小津作品のDVDを手元に一本ももっていない。ここでも、アマゾン・プライムの恩恵に浴した。戦中から戦後の小津のモノクロ作品のうち、『戸田家の兄妹』(1941)、『父ありき』(1942)、『長屋紳士録』(1947)、『風の中の牝鶏』(1948)、『晩春』(1949)、『麦秋』(1951)、『お茶漬けの味』(1952)、『東京物語』(1953)、『東京暮色』(1957)の9作品を、アマゾン・プライムで見ることができる。幸い、「紀子三部作」と言われる『晩春』『麦秋』『東京物語』は全て視聴可能である。[32]でトリュフォーの感想として紹介したとおり、小津作品は一本見ただけではネガティブな印象が強い。しかし、「連続して見る」と、「得も言われぬ」魅力の虜になる。本項では原節子(作品中の役名はいずれも「紀子」)を中心に繰り広げられる「紀子三部作」を見ていきたい。これらは、小津の代表作でもある。
松竹の監督である小津が東宝所属の原節子を松竹映画に起用すること自体、簡単なことではない。しかも、短い期間に3本である。2本目、3本目と進むと、脚本は明らかに原節子を想定して書かれている。脚本に関しては、この三部作最初の『晩春』から、小津安二郎と野田高梧のコンビがスタートする。「最も重要なことはドアの向こうで起こる」というルビッチ・タッチは、小津だけでなく野田も共有していた。また、トリュフォーが当初ネガティブに評価した「同じ俳優、同じカメラアングル、同じ構図、同じようなゆっくりしたテンポ、同じような内容、そして同じような題名」は、そっくりそのまま小津の世界を作り上げているという意味で、小津作品を特徴づける魅力でもある。「晩春」と「麦秋」は、春の終わりの同じ時期を意味する。どちらの作品においても、まわりの人たち(親や親戚、友人)が婚期の遅れかけている紀子を心配して気をもむ、まさに人生における春の終わりをめぐる物語である。しかし3作とも、事件らしい事件は起きず、ライフサイクルにおける普通のイベント、すなわち子供の成長、結婚、年老いていくこと、そして死をめぐる本人・家族・親戚・友人の思いを描いただけの作品である。小説や映画で当たり前のこととして期待される事件は起こらない。それだけに誰にでも自分のこととして受けとめ、考えさせられる作品である。大きな事件が起こらなくても、人生そのものがドラマであることを、小津映画は見事に示している。
『晩春』では、紀子は小姑として大家族を経済的に支える一翼を担っているが、家族は皆、適齢期のうちに“よい”結婚をしてほしいと願っている。しかし紀子は、お見合いで重視される家柄や世間体ではなく、大恋愛をしたわけでもないのに身近にいる親しい子持ちのやもめ男を選ぶ。一応のハッピーエンドのようだが、ルビッチ映画と同様、結婚後のたいへんさを予想させるエンディングである。『麦秋』での紀子は、父親と二人暮らしで、父親の身の回りの世話に充実感をもっている。しかし、父親や叔母は、やはり適齢期のうちに“よい”人に嫁がせたい。エンディングにおいて紀子は彼らが勧める良縁で嫁いでいくが、父親を一人残していくことに後ろ髪を引かれる思いは最期まで拭えない。それは自分が犠牲になるというのではなく、父親と一緒に過ごしていることが少なくとも今の自分にとって一番幸せとの思いからである。ライフサイクルにおいて結婚は生活の大きな変化点で、それだけに強いストレスを感じて当然である。結婚は事件ではなくイベントだが、人に拠れば大事件以上のストレスを受けることになる。また、『東京物語』における紀子は、戦争未亡人として若くに夫を亡くしたが、婚家の両親に嫁として関わっている。その両親は、紀子を束縛したくなく、彼女の再婚を望んでいる。小津はこのころ「東京」をタイトルに掲げる作品をいくつか作るが、戦後日本における人間関係のあり方の変化、崩れていく家族関係をいち早く捕らえ、それを象徴する意味を「東京」に込めている。私自身が生きてきた時代、大家族の核家族化や隣近所の付き合い方の変化が、東京に代表される大都市が先行して進んだ。紀子の婚家の年老いた両親は広島に住んでいるが、観光方々、子どもたちの様子を見に東京に旅した。子どもたちは東京での仕事や生活に追われ、実の両親を歓待する余裕がない。血のつながらない紀子だけが独り身の身軽さもあり義理を尽くす。「紀子三部作」は、エンディングをハッピーエンドにして不快感を味わわせないというルビッチ・タッチを必ずしも踏襲していない。そうできたのは、三部作であったからだと思う。紀子(原節子)だけでなく、笠智衆や杉村春子をはじめ、常連出演者による映画の中での家族・親戚・友人たちが、映画を見る人たちの近しい人たちであるかのような錯覚を起こさせる。それにより、ハッピーエンドにしなくても気持ちよく見終わることができる。俳優は、与えられた役柄により清純な娘にもあばずれ女にも七変化するものであるが、小津映画にあっては、原節子は常に紀子であり、笠智衆や杉村春子も常にその人そのものであった。「小津は役者に演技をさせない」と言われるゆえんである。このことも、登場人物たちを近しい人と思わせることに役立ったと思う。
戦前のサイレント時代、小津は、貧しさの中で事件が起こる作品を多く作っていた。しかし、「紀子三部作」は経済的には困窮していない中産階級の家庭でのどこの家庭でも起こるライフイベントを描いた。これ以降、東宝の原節子の起用が難しくなったこともあり、三部作は完了する。小津映画を扱うときには、独特な構図やカメラワークを取り上げることが多いが、本項では言い尽くされたそれらには触れない。「紀子三部作」の俳優と役柄、それに脚本に焦点を当てることで、小津映画の特徴を十分に捉えられると考えたからである。
つづく