1998年度後期教養的科目『心の種々相』(担当:吉村浩一)期末レポートの総評

総数,355通のレポートが提出されました.課題に掲げた5つのテーマのうち,「多重人格」の章に関するレポートが,全体の約半数を占めました.続いて,約3割が「自閉症」の章,残りの2割を「偉大な記憶力の持ち主」「隔絶されて育てられた少女」「心の病かパーソナリティか」の3つの章がだいたい同じくらいの割合でした.

 講義で「多重人格」のところを最後に取り上げたという順序効果を差し引いても,皆さんの中にこのテーマについて関心や予備知識がもっている人が多かったと考えられます.予備知識の主なものは,『24人のビリー・ミリガン』などのブームの中で,これらの本を読んでいた人,あるいは友人から勧められた経験をもっていた人が予想通りかなりいたことと,テレビドラマなどでこのテーマを取り上げたものを興味をもってみていた人,さらには少女連続殺人事件のM青年についての報道などでした.このテーマへのレポート提出者の多くは,当初は「多重人格を装ったふりをしている」という疑い,あるいは小説などのフィクションの世界のことだと思っていました.心理学も,最近になってやっと本腰を入れて取り組み始めたことを考えると,このような皆さんの姿勢は当然だと思います.幼児期の虐待の多いアメリカやカナダでの発生率の高さと,日本の現状との違いを対照的に位置づけ,しかし,これからの日本でも油断はできないという視点から書かれたレポートが目立ちましたが,適切な捉え方だと評価できます.いずれにせよ,当初,抱いていたイメージと,講義で学びまたレポートを書くに当たって参考文献を調べて学んだことのギャップの大きさを強調していた人が多くいました.このような見識の獲得は,教養的科目の教育の大切な一面だと考えます.また,「特殊事例」を自分たちとは無関係と捉えるのではなく,現在社会という環境が,われわれの心の在り方に対して多重人格を生みかねない問題を抱え込んでいるという危機感が,レポートを書くためのポーズとしてではなく,正直な気持ちとして心に抱いていることが伝わってきました.

 「自閉症」については,さらに“身近な問題”として,親戚や知人,学校などで関わった体験談をもとにレポートを書いた人がかなりいたことをまず指摘しておきます.「ふさぎ込んで人付き合いの悪い人」を「自閉症」と言うことが本質的に誤りであることを,授業とテキストを通して学んだという記述が多くありました.特に「親の育て方の誤り」が原因ではなく,脳の器質的問題をベースにもつ認知障害であるという点をしっかり捉えたレポートが多かったこともよかったと思います.このような見識を身につけることも,教養的科目の目的だと考えます.

 このように書きつづってゆけば,どんどん書きたいことが出てきますが,あとの3つのテーマについては割愛します.

 次に,レポートの書き方についてコメントします.レポートを書くに当たって,(1)なぜ,そのテーマを取り上げようと考えたのか.(2)そのテーマについて,授業やテキストからどのようなことを学んだか.(3)さらに,参考文献からどのようなことを学んだか.(4)それらを踏まえて,現在,当該テーマについてどのような考えをもつに至ったか.という,4節で構成するよう求めました.私は,このような構成が,文科系の科目のレポートを書くための基本形であると考えています.そのことを皆さんに身につけてもらおうとしたわけです.皆さんのレポートを読んでいて,このような枠組みが窮屈だと感じさせるものは,見当たりませんでした.むしろ,この形式を守らずに書かれたレポートの多くが,ちょっと思った感想を随筆のように書き並べた構成力のないものになっていました.

 今回のレポート課題提出に当たって,大切なことことなのに改めて注意しておかなかったことがあります.それは,前期を終え,すでに皆さんが十分身につけていると考えたためです.それを身につけていなかったレポートが,1通だけありました.絶対に侵してはならないレポートのルール,それは他の文献からの引用箇所を自分自身の記述とはっきり区別せずに書くことです.当然,そのレポートは,内容的には高度で優れたものとなります.だがそれは,あなた自身の考えを展開したものではありません.文献から学ぶことは重要です.しかし,それをあやふやな記述でさも自分の主張であるように盗むことはあってはならないことです.これから先,大学で学んでいく上での最低限のルールだと考えて下さい.幸い,そのようなレポートが皆無に近かったことをうれしく思います.

 

 最後に,皆さんのレポートの具体的記述を利用させてもらって,もう少しコメントを加えておきます.

 まず,レポートの4節構成のうちの最初の,「なぜこのテーマを選んだか」の記述に当たって,「このテーマに関心があったから」という趣旨のことしか書かれていないのでは,何も言ったことになりません.そのような観点から,次のレポートは「序」として優れていたと思います.「ホームページへの掲載可」と書いてくれていませんでしたが,差し障りのある内容ではないと判断しましたので掲載させてもらいます.

「選択したテーマ:自らが語る自閉症の世界

 私がこの話を選んだのは,今回の講義「心の種々相」を受講するずっと前に起こったことが理由となっていた.起こったといっても,私の身の回りで何か事件が起こったというわけではなく,「耳にした」だけのことである.偶然聴いていた生放送の深夜ラジオ番組の中であるタレントが,自分の暗くて無口な性格について「上京してから自分は自閉症になった」という旨の表現を使った.その時は私はその表現を間違いだとも思わなかったし,当然違和感すら覚えなかったのだが,10分ほど後になって「自閉症とは暗いとか無口であるとかといった“性格”をあらわす言葉ではなく,脳の障害によって起こる“病気”であり,大人になってから突然にそうなるというようなものではない.まして,私は自閉症であるなどと自分の口で言えるような人間が自閉症であるはずがない」といった旨の抗議のファックスが届いたのである.もっと柔らかな論調で,忠告という方が正しかったかもしれない.送り主は自閉症協会のような団体で働いている方だったと思う(ずっと前のことで記憶は曖昧で,発言とファックスの文面,加えてその送り主は正確とは言えないが,大方上のような内容であった).このことは私の頭の片隅に残っていた程度のものであったが,第2話の冒頭のこれと同じような内容の記述を読んで思いだし,改めて「自閉症とは何なのか」,そのことを知りたくなったのである.」

 もう一つ,これは書き出し部分ではありませんが,「多重人格」について,皆さんのいる位置をvividに捉えている表現として,紹介させて下さい.これにも,「ホームページ掲載可」とのコメントはありませんでしたが,ご容赦下さい.

「『24人のビリー・ミリガン』をこの授業が終了してから読みましたが,この本が出版されたばかりのときに友人に勧められたときに,私は断りました.私は,多重人格を気持ち悪いし,変人がかかるものだと思っていたからです.友人もまた,私に「気持ち悪くておもしろい」というようなことを言いました.私も友人も多重人格について,作られた先入観をもってしまっていたのだと思います.しかし私は,この授業を受けたことにより,この本をいま,きちんと読むことができたのではないかと思います.この本を読んで感じたことは,多重人格への理解のなさ,偏見が,多重人格への治療を妨げているということです.他の病気ならば,治療がもっと適切に行えるのに,なぜ,偏見を持ってしまうのであろうかということが,私にいらだちを感じさせました.もしかしたら育った環境によって誰でもこうなってしまう可能性がある病気なのに,偏見がこの難しい病気になってしまった人々の人生をさらに不幸にしていると感じました.」

 もちろん,ほかにも高い見識を示した優れたレポートが多くありました.授業を行ったものの財産として,今後に生かしてゆきたいと思います.

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