1999.10.27掲載 1999年後期総合科目『情報化社会と人間』「文章表現のヒューマン・インターフェイス」(文学部・吉村担当)の感想と質問に答えて

本年度は,トップバッターで,10月8日と15日の2回にわたり,上記タイトルで講義をしました.ほとんどの皆さんが,「レポートの書き方のガイダンスを聞く」というスタンスで受けとめられたようです.この講義内容がなぜ,『情報化社会と人間』という共通テーマのもとに行われたのかと首をかしげる感想もありましたが,おおむね「役に立つ解説だった」との評価を頂きました.私の心づもりでは,レポートや論文などの“書き手”と“読み手”のインターフェイス問題と位置づけ,これからの情報化社会にあっては,「書くこと」よりも「読まれること」に重点が移り,読み手にとっていかに“分かりやすい表現”が実現できるかという書き手の能力が大切だとの主張がベースにありました.以下に,皆さんからの感想と質問のうち,答えたいと思ったものを取り上げます.

●「そして(and)」という接続詞は,前後の内容を何ら関係づけないため,最悪の接続詞であり,推敲段階ではできるだけ関係性を明確にできる表現にかえろ,という私の解説に対し,「絶対に使ってはいけないのか」という質問がありました.→推敲してもやはり「そして」が適切な場合にはそれでいい.

●「『and(=そして)』という接続詞を,自分も文章を書くときによく使っているかもしれない.けれども,数学の証明では,『そして』はいっさい使わず,『よって』『または』『したがって』などを使う.これからは文章を書くときも,接続詞にこだわって書いていこうと思う」というコメントを,工学部の学生の方が書いてくれました.→ここまで言うと,文科系の学生の方からは,そのようなスタイルの文章は味気ないぎすぎすしたものになってしまうとの,反論があるかもしれません.まず行うべき判断は,「レポートや論文」を書く場合,論理構造が明確であることと,暗示的で趣のある文章であることのどちらを優先すべきかという点です.私の答が前者であることは明確です.その上で,両者が背反的で相容れないと見なすか,そうではなく工夫次第では前者を重視しつつ後者も実現できると考えるか.少なくとも,後者の欲張りな姿勢は誰にでも可能だとも思えません.相当な“文章力”がなければできないでしょう.したがって,それをせよという要求を私はしません.「少なくとも,論理構造を明確にした文章構成だけは身につけよ」と提案するのです.

●「レポートを課した先生が何を求めているかを読み取って書きなさい」というアドバイスをしましたが,「そんな難しい心の読みとりなどできない」「その先生が読んで分かるようなレポートでいいのか,それとも誰にでも分かるように書くのがよいレポートなのか」という疑問を受けました.→授業を聞いた上でレポート課題を受けるわけですから,先生の出題意図がつかめないということはあり得ないと思います.また,後者の質問に対しては,「先生にさえ分かればよい」という姿勢ではなく,「誰にとっても分かりやすい表現を目指す」という姿勢を奨めます.そのような視点をとると,「誰にとっても」の対象が,いったい誰なのかを真剣に考え,悩むはずです.そのことを意識し,文章作成にどう反映してゆけばよいかを工夫するトレーニングが大切なのです.こうして書いている私のコメントも,「2回の授業を聞いてくれた『誰にでも』」を意識して書いています.

●「以前に,句読点がなくても読める文を書ける人はすごい(=文章力がある)と聞いたことがあるのですが,本当にそうなんですか」という質問がありました.→この言説の精神は正しいと思います.私の講義内容に近づけていえば,接続詞をほとんど使わずに(分かりやすい)文章構成を実現できる人はすごい,ということになります.“結束性”を最大限に活用していることになるからです.(“結束性”の前に,「というのは」などの接続詞がありませんね.それがなくても,関係がつかめるでしょう?)

●文献引用について,「文献の内容に賛同でも反対でもなく中間という場合があるが,そのような文献(レポートを出題した先生の意見も含めて)の引用は中途半端な気がする.自分の意見を自信をもって書くべきなのだろうか」という質問がありました.→文献は,あなたが引用するまでは,“引用文献”にはなりません.あなたがその文献を「引用しよう」とした意図は何かをよく考えて下さい.賛意を示し支持するためなのか.それとも批判するためなのか.批判するためなら,批判の論拠を明確に形作っていかなければなりません.文献引用の的確さを実現できるようになれば,レポートや論文を書くことが楽しくなります.「反対だ」ということでその文献を引用することは歓迎されます.その根拠が論理的に展開されていさえすれば.

 問題とすべきは,ただ単に「こんな考えもありますよ」と紹介することを主目的にする文献引用です.その文献についてあなたの考えを積極的に展開しないのなら,引用することは不必要です.

●もう一つ,文献引用について.「私は文献引用をレポートに使用してはいけないと思っていたので,いつも引用しても少し変えて自分の文のようにしていました.今回のレポート構成法を聞いて,レポートの書き方を始めて知った気がします」という感想がありました.→このような悔い改めを皆さんが一日も早くされることを祈ります.“被引用文献に対するプライオリティの尊重”,これがレポートを書く際の最低限のルールです.

●「英語のパラグラフは,最初に結論を述べてあとで説明を加えるものだと聞いているが,そのような書き方で随筆を書いたら,つまらないものになってしまうのではないか?」という質問がありました.→まず,訂正したいことは,「最初に結論を述べて」というところです.「結論」ではなく,「そのパラグラフで扱うトピックの宣言をして」が正しい.その宣言文こそが“トピック・センテンス”なのです.僕の授業では,英語に限らず日本語で書く場合も,「論文やレポート」などの論理展開を行う際には,このような英語の文章作成作法(トピック・センテンスを明示するパラグラフ構成)に倣おうと提案したわけです.それでは,随筆の場合はどうか,というのが,この質問の趣旨です.興味深い観点だと思います.将来,文学部で英文学を専攻しようと思っている学生の方に,このテーマでのレポートを書いてもらえればありがたいと考えます.もちろん,論理構造を明確にした文章作法に従った書き方で.

●「最近はあらゆる面で情報公開が求められているが,難しい科学技術などについてもやはり,その専門家が分かりやすい表現を心がけるべきなのか」という質問がありました.→今回の授業テーマである「情報化社会と人間」にぴったりの質問です.「成熟していない情報化社会」では,専門家は開示義務として(いやいや)書き表すにすぎない.そのような姿勢では「専門家らしい書き方」で煙に巻くのが得策でしょう.しかし「情報化社会の成熟」を目指す立場からは,「書き表す」ことよりも「理解されること」に重点が置かれるべきです.専門的知識をもたない人にも誤解のない理解をしてもらうためには,書き手がどれほど表現に工夫を要するか,容易に想像できるでしょう.今回の講義で重点を置いた“分かりやすい表現”は,まさにこの姿勢の方向づけの具体像を示したつもりです.私自身は,イギリスの伝統的“啓蒙思想”から多くのことを学んでいます.

●「短く正確にまとめるために僕がレポート作成の際などにとっている方法は,ブレーン・ストーミングをして,A4用紙2枚にわらわらと単語を書いた後,パソコンでまとめるという方法なのですが,いささか効率が悪いような気がします.特に,ブレーン・ストーミングをすることが‥‥.そこで,レポートの体裁以前のアイデアをひねる段階でのよいアイデアがあれば教えて下さい」との感動的質問がありました.→自分なりに工夫して実行しているとの心強さを感じました.こういう質問には答えないわけにはゆきません.授業中に紹介した僕の使っているアウトライン・プロセッサーには,あることがらをめぐっての整理されないまま湧き出るアイデアを,消えてしまわないうちに次々にメモしておくために“連射”という機能が付いています.1つの項目のまわりに,放射状に次々に湧き出た項目をひとかたまりにつなげておく.これは,あとでじっくり,それらの論理的関係を構築してゆくための前処理になります.

以上です.皆さんの感動的レポートをお待ちしております.レポート提出についての詳細は,最終講義日のディスカッションでアナウンスされますが,私のレポートを書く人は,ともかく草稿を早く書いて,論理構築と“分かりやすい表現”を目指した推敲作業に充分な時間を当てて下さい.

 

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