手塚太郎さんの上下逆さめがね体験記
まずは,ご本人の自己紹介から
手塚太郎といいます。京都大学情報学研究科にて修士課程に在学しています。
出身は東京都日野市、けれど京都に暮らして五年以上になります。
趣味は、いろいろなことを体験してみること、本を読むこと、そして考え込むことです。
HPのURLは
http://ha4.seikyou.ne.jp/home/Taro.Tezuka/public_html/です。
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逆さめがね体験記 手塚太郎
小学生の頃、子供向けの科学の本で「逆さめがね」の存在を知った。いや、「逆さめがね」という名称が使われていたかどうかは憶えていない。僕が記憶しているのは・・・・・・視界を逆転させる眼鏡をつけて生活し、数週間後にそれを外すと、今度は外した状態の方が逆転して感じられるということ・・・・・・それは小学生の柔軟な頭を持ってしても、あまりにも信じがたく、驚くべきことに感じられた。
いつか体験してみたい。だが、写真で見る眼鏡はまるで巨大な潜望鏡のようであって、とてもじゃないが僕には支えきれないように思われた。数週間も装着していたという被験者の人は、常人ではないなと思った。眼鏡の異様な形状に怯え、しかもどこで手に入れられるのかも分からないまま、十年の月日が流れた。
やがてインターネットというものが現れる。ある時、ふと思い出して「視野・逆転・眼鏡」などと検索してみたところ、問題の装置は「逆さめがね」と呼ばれ、心理学の分野で広く使われていることを知る。しかも、それなりに軽量化も進んでいる様子。
逆さめがねをくわしく研究なされている吉村先生のホームページを見つけ、問い合わせのメールを出した。やがて返事が来た。機会があれば、実験に参加しないかという嬉しい知らせ。それどころか、京大にも心理学の研究室に置いてあると教えてもらった。灯台下暗しだ。さっそく研究室を訪ねた。院生の人にご面倒をおかけして、倉庫からめがねを引っ張り出してきてもらう。つけてみた。逆さめがねには上下反転・左右反転・上下左右反転の三種があるらしく、僕がまず着けたのは、左右反転めがねであった。
「おー、ほんとに逆転、逆転」
とか言って喜んでいるうちに、三十秒後、猛烈な吐き気に襲われた。立っていられない。理由は何となく分かった。人間は普段、無意識のうちに視覚を利用して体のバランスを保っているのであろう。左に体が傾いていたら、右に引き戻す。それが、めがねのせいでまったく逆になってしまうので、体がどんどん傾いていって、支えきれないのだ。頭が混乱するらしく、乗り物酔いのような気分。床にへたりこんだ。
「すげえ、すげえ」
と呟きながら心理学研究室を出た。もしめがねを借りることが出来て、あるいは自分で作ることが出来て、誰かに助けてもらえるようだったら、数週間の生活を試みてみよう。そう心に誓った。
やがて吉村先生から連絡があって、京都文教大学で心理学を専攻している吉本さんという方が逆さめがねで実験を行なう仰る。うらやましいな、と思った。
吉本さんを紹介していただき、メールでやりとりした。「これからつけます」という勇ましい連絡が来てから、一週間。実験が途中で終了した旨を伝える連絡が届く。
「めがねを外してしまいました。しんどすぎました」
「そんなにすごいんですか!」
返事を打ち込みながら、僕は目をキラキラさせていた。そんなに鮮烈な体験なのか。報告を聞かせてくれるというので、京都文教大のキャンパスを訪れた。向島駅からバスに乗って数分。
キャンパスの真中に立つ銅像の前で、吉本さんと会った。メールの文章からある程度予想していたが、温厚で優しそうな方であった。
「どうも、はじめまして」「場所、わかりました?」と型どおりの挨拶も終わらぬうちに、「つけてみますか?」とめがねを差し出された。おっとりした外見とは違って、てきぱきとした行動派の人なのかも知れない。実際、そうでもなかったら、逆さめがねなどというテーマは選ばないようにも思う。あれこれ考えていたら、これほど不安要素の多い研究テーマも他にあるまい。お風呂はどうするのか。友人の結婚式に呼ばれたらどうするのか。急にガールフレンドが出来たらどうするのか。そんな不安を差し置き、「とりあえず、やってしまえ」という思いきりの良さがあってこそ出来ることだ。
「2時間くらい時間がありますし。キャンパス内を歩いてみませんか」
渡されためがねは、角張っていて箱のような形。とても軽い。
「バルサ材っていう、一番軽い素材みたいで」
僕も小学生の頃、模型を作るのによく使った。懐かしい。これを使うことの問題をあえて挙げるとすれば、転んだ時に壊れてしまうところか。だが、壊れやすいからこそ安全であるとも言える。顔に突き刺さる心配をしないで済む。
「軽いですねー」
と僕が言うと、
「軽さは大切ですね。この前、吉村先生の研究室にお伺いした時、業者の方が来られていて。材料の指定について、熱く語っておられました」
逆さめがねの軽量化は、今この瞬間も推し進められているのだ。着けてみると、さっそく世界が上下反転した。
「すげーっ!」
大げさに叫んでみる。そうはいっても、初めての体験ではない。前回、上下反転めがねも少しだけ試している。だが場所が違えば印象も違う。京都文教大は何故か空が広い。巨椋池の跡地に立つキャンパスには、視界を遮る高い建物が無いのだ。大きな空が、足元で無限大に広がった。
さっそく、ぴょんぴょん跳ねまくる僕。世界が逆のリズムで上下するので、バランスを失って転びそうになる。だが、転ぶまでは至らなかった。思ったより、人間の平衡感覚はしっかりしているようだ。考えてみれば目をつむって跳ねているのと同じことであって、当然とも言える。コツは、目を開けつつも、風景を見な
いこと。「見つつ見ない」。曲芸のようだが、やってみれば出来るものだ。
思ったことや感じたことのすべてを記録に留めておきたいと思った僕は、カバンから手帳を取り出した。だが、思ったほど簡単でない。下を向くと本当にしんどい。体とカバンの位置関係が、ダリの絵のようにありえない配置をしている。
正面を見ている方が、まだ理解の範囲内だ。頭の中で機械的に上下を反転させればいいだけだから。だが、うつむいた状態というのは、どうも理解に苦しむ。手前と奥行き、上と下、すべてが入り組んだ形で逆転する。手が思ったように動かない・・・・・・そして目をつむると、拍子抜けするくらい簡単にカバンを見つけられた。
メモをとろうとしたが、これがまた大変なのだ。まっすぐ書けない。なぜか、斜め下方向に字が進んでいく。しかも、何を書いているのかさっぱり読めない。自動書記というのはこういう感じなのだろうか。ようやく数行だけ書きしたためて、手帳をたたんだ。
吉本さんの先導で、キャンパス内を散歩することになる。初めはそろりそろりと、やがて冒険的に、大股で。前を歩きながら、吉本さんは自分の体験を振り返る。
「一週間、大変でしたよ。なにげにやることがたくさんあって」
洗濯とか、買い物とか。どれも大変そうだ。僕にとってはおそらく、メモをうまく書けないということが致命的だ。今ならめがねを外した後で清書することも出来るが、二週間も放っておいたら忘れてしまうだろう。テープレコーダーを持ち歩くか、キーボードでブラインドタッチするか、何らかの方法を考えなくてはならない。吉本さんは続けて言う。
「僕、アカペラサークルをやってるんですよ」
「アカペラ!。・・・・・・これを着けて、歌ってらっしゃったんですか?」
駅前でライブしたら、確実に人だかりができそうだ。
「それが、めがねを着けてると、楽譜を読めないんですよ」
それでふと思ったのが、なぜ楽譜では波長の短い音を上に書くのか。そもそも波長の短い音を「高い」と呼ぶのは何故なのか。、周波数が多い→高い、という連想か?。ならば周波数の概念が出る以前は、「高い音」「甲高い声」という表現は無かったのか?。
逆さめがねのせいで、普段は気にもならないことが気になりだす。おそらく上下関係は僕らの思考を拘束する強力なフレームであって、それは日常言語の構造にも色濃く反映されている。逆さめがねによって、その形式がわずかながら打ち破られるのだ。上下の反転では縦横の関係が残ったままだが、90度だけ回転させる
めがねがあれば、さらに大きく揺り動かせるかも知れない。
僕と吉本さんは校舎の真ん中の大きな建物に向かって歩いていった。
「上下反転めがねの場合は、最初の一時間だけが大変なんです。気持ち悪さはすぐに消えます。二日ほどで、普通に歩くことも出来る。だけど、手先の細かい作業が出来ない」
実際、こうして歩いていても、気持ち悪さは感じない。左右反転の時は三分間も立っていられなかったというのに。
「もうひとつの問題は、着けっぱなしだから、ものすごく暑い」
「夏ってのが、まずかったですかね」
めがねをつけていることの不便さよりも、重さからくる疲労感や、ムレた状態に耐え切れなくなって外してしまったそうだ。
「外してからの方が、逆に気持ち悪いんですよ」
僕がもっとも体験したいと思っているのが、外した後で世界が逆転して感じられる現象だ。吉本さんはそこまで至らなかったという。一週間では短すぎるのだ。
校舎の真ん中の建物は、カフェテリアだった。大きなひさしが三階部分から突き出している。離れて見るのとはまったく異なる物体として迫ってきた。
おそらく僕らは普段、上方に対して、足元に対するほどの注意を払っていないのだろう。地面には段差もあろう、ぬかるみもあろう、たまに百円玉も落ちていよう。だが、頭上の危険は少ない。視野の上半分と下半分は、同じように見えているようで、実は重み付けが異なるのだ。逆さめがねはそれを逆手にとって、意識
を上方に集中させてしまう。だから、見慣れた光景がまったく違ったものとして描き出される。
建築を学んでいる人に、ぜひ逆さめがねを体験してもらいたい。たとえば人間の無意識に働きかける上方からの圧迫感。頭上を守られることによる安心感。それらをうまく利用した建築を作って欲しい。
カフェテリアの手前で、微妙な段差をいくつも乗り越えなくてはならなかった。えらく苦労した。バリアフリーの大切さを思った。建物に入る前、
「ここ、面白いですよ」
と言われて横に曲がった。校舎間の渡り廊下。天井は蛇腹になった金属。高さが低いので、ちょうど腰のあたりに天井が広がる。すなわち、体が鉄の中に突き刺さっているように感じるのだ。歩くと、原が蛇腹のギザギザの中を打ち抜いて行く。 金属製の波乗りのようだ。
「ドラえもんの道具でありましたね〜、こういうの」
体につけると、地面を泳ぐことが出来るパウダー。道具の名前は忘れた。平泳ぎのジェスチャーをしながら、金属板が胸に当たるのを感じつつ、進んで行く。まわりの人が見たら、かなりの変人だろうな。吉本さんが全然いやがらないのは、本人がずっとこれで構内を歩き回っていたからだ。心強い同行者。
カフェテリアの中に入った。
「おおっ、未来や、未来!」
と叫ぶ僕。天井からぶら下がっている照明が、まるでスターウォーズの小道具のように、重力に逆らって地面から突き出しているのだ。それはまさに、二十世紀流の未来像であった。
カフェテリアの隅っこで椅子に座ろうとすると、これが最高に怖い。椅子は僕の頭の後ろに、逆さに置かれているのだ。尻の後ろに、果てしない宇宙が広がっている。椅子の存在を信じるしかない。そこに椅子はある、体を支えてくれる、と信じること。何も無い空間への自己投企。重力の不在を感じつつ、尻が椅子に触れて初めて、緊張感が解ける。お尻で感じる安心感が、これほど確かなものであるとは思っていなかった。
そうしてしばらく話をしたあと、尿意は無かったが、とりあえずトイレに行ってみることにした。これが何よりも衝撃的だった。小の前に立ち、放尿しながら下を見たら、僕のではない体がこちらに向かっておしっこをかけてくるではないか。もしあの時、反射的に避けていたとしたら、最悪な事態になっていた。隣に誰もいなくて良かった。
大の方は、大きな変化なし。壁の落書きを読めなくて不便なだけだ。吉本さんをだいぶ待たせてしまった。トイレの前には自販機があった。
「ジュースを買いますね」
ジャー。コップに注ぐ形式。恐る恐る取り出してみたが、こぼすことはなかった。飲むときも、別に目で見る必要はないので、問題なかった。大変なのは箸やフォークで食べることだろう。お腹が減っていなかったので、次回にまわすことにした。
吉本さんに連れられて、階段を上がってみた。柵が無いも同然だ。なにしろ、頭より上に伸びているわけだから。手すりを持つとき、下側を持ってしまい、吉本さんに笑われた。
「僕も、絶対に下側を持ってしまうんです」
二階の廊下を少しだけ歩いた。
「エレベーターも乗ってみますか?」
お薦めのひとつだそうだ。お薦め、という言い方が面白い。観光地でも何でもないのに、お薦め。めがねひとつでまったく新しい世界が立ち現れるのだ。エレベーターは入り口側が窓になっている。降りているのに、昇っているよう。デパートにある、建物の外が見えるエレベーターならなお面白そうだ。今度試してみよう。ついでに、エスカレーターも試してみたい。
一階で、講義室に入った。黒板にいろいろ落書きしてみた。本当に下手っくそで笑える。裏口から出て少し歩く。その時、
「おお、おおっ!」
僕はその場に立ち尽くした。あちこちを観察していた二つの眼球が、一箇所に固定される。目の前に、女の子ふたり。そして、彼女たちの反重力スカート。重力に反するスカート。なぜそんなにも垂直にそそり立つのか。落ちそうで落ちない。
女の子たちが行ってしまってから、吉本さんが笑いながら言った。
「ははは。女の子たちには、エロメガネって呼ばれてるんですよ。普通に会話していてもね、こっちはちゃんと相手の顔を見ているつもりなのに、むこうからは視線が胸の辺りを向いているように見えるらしくて・・・・・・」
僕ならば逆に、お腹のあたりを見ているふりして、胸元をじろじろ見ることだろう。
それ以上、いやらしい話をすることなく、とことこ歩いて校庭に出た。
「サッカーやりましょうよ、サッカー」
はしゃぐ僕。へっぽこな蹴り方をする自信がある。
「キャッチボールは、やってみたんですけどね」
「とれました?」
「慣れれば」
そうして校庭を歩いている時、
「試してみませんか」
と言われて、すぐには何のことを言っているのか分からなかった。視野が狭いから、吉本さんがどこを見ているのかが分からない。まず吉本さんを見て、視線の方向を確認してから、ぐるりと頭を回転させなくてはならない。視線の先には鉄棒があった。
試してみた。ぐるりとまわった瞬間、頭の後ろが引っ張られるような感触。めがねに対する慣性とは少し違う。何というのか、認知的な現象が関わっている気がした。何度もまわって確かめてみたかったが、めがねが落ちてしまいそうだったので、これは自分のめがねを作った後で再度挑戦してみることにした。
校舎の表側に出た。夕暮れ時のキャンパス。あいにくの曇り空で、綺麗な夕焼けが見えるわけではない。
「煙突とか、すごい不思議な感じなんですよ」
残念ながら近くに煙突は見当たらなかったが、校舎の上に突き出たテレビのアンテナが不可思議な印象を与えていた。
「そうだ、水を見に行きませんか」
急に思い出したように言う。
「僕が初めて『すごいなー』と思ったのは、水を見た時なんです」
僕など、着けた瞬間から「すごいなー」であった。なんだか自分が軽率な人間である気がする。だがとりあえず、
「僕が初めてすごいなと思ったのは、スカートを見た時でした」
とコメントしておく。校舎の入り口近くに、池があった。そこに、道路の向かい側の建物が映し出されている。水に映っている側が上になって見えるから、まるで水に入って外を見ているかのようだ。ただの池なのに。意外なものが意外な新鮮さを持って見えるものだ。
むこうから、別の女の子が駆けてきた。吉本さんとどういう仲なのかよく分からんが、いきなり抱きついた。「めっちゃ久しぶりやなー!」と言ってるから、彼女では無さそうだが、僕には理解できない友情表現だ。彼女を仮に、キマちゃん(仮名)と呼ぼう。胸元が強調される服を着た、当世風の女子大生だ。初め、僕が存在しないかのように吉本さんと話していたが、紹介されて、軽く挨拶する。僕は手を差し出しながら、
「とりあえず、握手しましょう」
といって、握手くらい出来る状態であることをアピールした。そうして逆さめがねの話になって、吉本さんがいろいろと説明する。これから自分が体験したことを論文にまとめなくてはいけないそうだ。
「自分の体験だけをまとめても、論文にならへんのちゃう?」
とキマちゃんが言う。
吉本さんはキマちゃんと約束があったのかも知れない。僕は勝手に遠慮して、おいとますることにした。そうして、あっけなくめがねを外した。世界が“正しい”状態に戻った。「外した方が逆転してみえる」という体験は、まだまだ先のことのように思われた。そうしてキマちゃんを見ると、驚いたことに、さっきまでと全然違う顔に見える。
「違って見えるでしょう?」
そう言って笑う吉本さんの顔も、別人じゃないか。誰ですかあなたは。面白い現象だ。顔の認知における、上下関係の重要さ。
「どっちが可愛い〜?」
キマちゃんに尋ねられ、
「今の方です」
と答えたが、本当は逆さの方が可愛いかった。吉本さんにお礼を言って、再会を約束して別れた。そうして帰りのバスや電車の中では、人の顔をしげしげと観察していたりした。