筑波大学集中講義(2001.12)レポートのフィードバック

まえがき

心理学系の菊地先生に招かれて知覚・認知心理学を中心に行った集中講義でしたが,筑波大学では,どの学問を専攻している人も自由に講義を聴くことのできるシステムであったことから,理科系の学生たちもレポートを寄せてくれて,学際性ゆたかな意見の書かれたレポートを読ませていただけました.テーマ別に,レポートに書かれていた内容と,私の彼らのレポートに対するコメントを記します.

[1]逆さめがね実験について

○半側空間無視の患者が,偏位視によって見え方が改善するという研究結果には新鮮な印象を持ちました.以前,神経心理学の講義で,視知覚に関する脳部位の損傷によって(これは半側空間無視とは違いますが)上下の区別のできない人の症例における認知リハビリテーションの研究について読みました.→その文献について,私は知りませんでした.詳しい内容をぜひ教えてください.逆さめがね研究との関係で,以前私は脳の障害により,一時的に目の前の世界が上下ひっくり返って見えるという“逆転視”について紹介しました.私のホームページにも掲載してます『知覚の可塑性と行動適応』という本の中の「第11章 変換視に関する生理学的研究」の「4. 逆転視の病理」というところです.このような症例は,日本の研究者によっても報告されています.逆さめがねの研究を神経心理学の分野と結びつけてゆくことは,今後ますます進展してゆくものと思います.

○左右逆さめがねの視野を100度まで広げていましたが,その際,左右の視野の重複部分がたいへん少なくなっていました.このことは,単純に左右の反転以外に見えの要因に変化をもたらすのではないでしょうか?→そのとおりです.私たちは左右の視野を重複させることで,立体視を行っています.重複視野が狭いということは,両眼視差による立体視に強い影響を与えます.ちなみに,もし左右逆さめがねで重複視野が大きいと,正常視のときの両眼視差も逆転しますので,逆立体視が起こることになります.顕著な知覚印象は,部屋の角のくぼみが出っ張って見えたり,ガラスのコップの立体感が逆さになり,この世のものとも思えないコップを目の前に見ることになります.

○以前に,学研のひみつシリーズか何かで,“逆転めがね”について書かれていました.「これをかけるとはじめは歩くこともできないが,○日もするとふつうの生活ができるようになる」.○のところは,もう10年くらい前の記憶なので定かではない.今日のビデオをみて,どうも私は今まで大きな誤解をしていたらしいことに気づいた.逆さめがねをかけて何日かすると,逆転網膜像が逆転でなくなるような,何か脳の情報伝達のところで変化が起きて,ある日突然,逆さめがねでまったく正常な世界が見えるようになるのだとばかり思っていた.→学研の秘密シリーズ,今でもあるのでしょうか.もし分かれば,その本のこと,教えてください.「大きな誤解をしていたらしい」と書いてありますが,それが誤解なのかどうかは,分かりません.脳画像診断などの手法を用いて,現在,逆さめがねの世界への順応過程において,脳活動に起こる変化を追究している研究者がいます.筑波にいる杉田陽一さんも,その一人です.私の『知覚の可塑性と行動適応』の第11章 変換視に関する生理学的研究」の「3わが国での近年の研究状況」で紹介しております.

○授業で一瞬逆さめがねを着けるだけでは物足りないし,「実験」となると堅ぐるしくて抵抗がある.遊園地や科学館のような所に気軽な体験室でもあれば面白いなと思った.→安全の確保という切実な問題はありますが,そのような企画を探っているところです.去年,高校の文化祭で,あるクラスの企画で,担任の先生から求められてアドバイスをしたこともあり,そのような経験を生かして,実現を目指したいと思っております.

○左右反転された状況に徐々に順応してゆく様子は分かりましたが,実際にこの講義の中でかけさせてもらった上下反転の逆さめがねを着けたときの印象では,この状態にどうやれば馴れることができるのか,正直,よく分かりませんでした.また実験の中で,自分の手やろうそくの火などといった回りの状況を把握する手がかりがあった場合,左右反転・上下反転といった状況ではなくなり(正常なのかどうかは分かりませんが),周囲を正しく認識できるようになるという場面があったと思うのですが,それはどういった状態になることを指しているのでしょうか?→枠組みの問題です.私たちがものの正立を知覚する枠組みは1つではありません.自己中心的定位,重力枠組み,視覚枠組みがあります.ろうそくの火などは,床や柱のように大きな視覚像ではありませんが,そのときの被験者にとって上下を定位する視覚枠組みとして機能していると考えられます.逆さ同士の2つの顔がともに正立していると答えた被験者も,それぞれ別の枠組みによる正立感を味わっていたわけです.

○逆さめがねを着けた当初,困惑してまともに動くことができないというのは少しは予想できた.なれてきて,ふつうに動くことができるようになってからでも,右と左の回転を反対に認識している(木の周りを反時計回りに回っているのに時計回りだと答えた)のには驚いた.身体の感覚が目から入ってくる刺激によって狂わされ,さらに目からの刺激に支配されていった.私は身体の感覚はそう簡単には狂ってしまわないだろうと思っていたので,たいへん驚いた.→頭の左右運動は,左右反転めがねを着け始めた当初から,反対方向に動いていると誤って知覚してしまいます.首や前庭からの身体性の情報が今までどおり機能しているはずなのに.

[2]事例研究を材料に,心理学の方法論について考える

○いわゆる“仮説−演繹法”は,「科学する」ことがたいへん難しい心理学を見事に科学するための優れた方法であるし,一般的な“How-to”を確率論に基づいて探っていくことはどうしても欠かせないと思う.しかし,統計的手法にばかりどっぷり浸かってしまうと,“Why?”という真理を追究する精神が薄れてしまうのではないだろうか.最終的に「どうしてそう見えるのか?」という問いに答える試みの中に,“How-to”を問う統計的枠組みがあるのだという,全体的な知覚心理学のパラダイムを見失ってはならないと思う.そしてそのパラダイムの中に,事例研究という「1つの見えがどうあり,それはなぜなのか?」ということを詳細に追ってゆく事例研究が位置づけられる.→まったく同感ですが,それを他人も納得できる形でどう行ってゆくかという現実問題がつきまといます.常に,この場合は大丈夫なのか?という問いを発しながら,事例の検討を進めてゆくべきだと思います.ウエバー・フェヒナー,ヴント,ゲシュタルト心理学,精神物理学的測定法の中に,その精神は脈々と受け継がれているはずです.さらに付け加えれば,人を越えた平均化を安易に行わないという戒めのほかに,人のサンプリングと同じくらい重要な問題して,“状況のサンプリング”があるのだということを肝に銘じたいと考えています.『特殊事例がひらく心の世界』で,そのあたりの考えをまとめています.

○心理学においては,たとえ知覚心理学に限っても,その対象となるものが,あまりに複雑・茫漠としていて,「決定版」のような厳然たるバラタイムはまだ確立していない.もしかしたら,確立しえないのかもしれないと思います.そういう意味では,心理学というのは通常科学半(クーンの科学革命参照)くらいなのかもしれない.しかし,だからこそ,その中で自分の方法というものを工夫しながら築き上げてゆく楽しみがあるのではないでしょうか.→「心理学の醍醐味は実験条件の創案」という私の考えと一致し,心強く読ませてもらいました.

[3]アーヴィン・ロックの運動知覚論について

○「私たちは思い込みで物体を見ている」という言葉に,はじめはピンときませんでしたが,エームズの窓で納得させられました.何とか思い込みを捨て去って見てみようとしても,窓が一回転しているようには見えませんでした.思い込みを捨て去る方法はないのでしょうか?→ロックは知覚は問題解決過程だといっていますが,その過程が必ずしも意識的に進行しているものでない以上,意識的にこう見ようと努力しても,うまく行かないものがあります.エームズの窓は,そのような頑健な知覚事例の見事な事例です.

○斜線と点列についての解釈で,斜線が横方向へ進むのは外枠の座標に対してであり,点が斜め下方に動くのは斜線の座標に対してであるので,両者の動きは別空間においてのものであるから,ベクトル分解では説明できないと思う.私が思うには,斜線と点列とはまったく別のものとして捉えられており,斜線が横に進むように見えることと点列が下に進むように見えるのは関連がないことである.→ロックのデモンストレーションの中でも,“知覚は問題解決だ”とするもっとも見事な事例なのですが,授業中も申しましたように,私自身も単純にベクトル分解することではすまないように感じておりました.“別空間”という発想を,今後検討してゆきたいと思います.

○「交差と反発」は,中央部を隠さないときは,「衝突」すると見るには不自然な動きである.中央で2つの円がぴったり重なり1つになるからである(衝突時はそうならないはず).この矛盾を解決するには,円はすれ違うと判断することが多いのではないだろうか?→これは,見落としておりました.確かに,「ぴったり重なる2つの円」は,衝突事象の記述には合いません.したがって“反発”ではなく,“交差”との反応が優勢であることは合理的です.

なお,「アーヴィン・ロックの運動知覚論」については,まもなく発行される基礎心理学研究に掲載予定です.授業中に見ていただいたデモンストレーションは,菊地研の院生の八木さんにお渡ししてありますので,改めて見たい人は八木さんにお願いしてください.

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