『図的に心理学—視聴覚教育への視座』(1999 ナカニシヤ出版)
まえがき
心理学を教える立場に立ってかなりの年月が経つが,心理学を教えることの手応えがますます見えにくくなっている.半期の講義をどのように構成すれば,心理学を専攻する学生に心理学の全体像を講じたことになるのか.
1つの具体的解答を得るため,卒業した学生が社会へ出て他の学問を学んだ人たちと出会ったとき,心理学を学んだことのアイデンティティをどこに求めるかを考えてみたい.そのようなアイデンティティを感じられないようでは,本人はもちろん,彼ないし彼女を送り出した心理学研究室は何をしていたのかということになってしまう.
まず,心理学を学んだ者は,広い意味でデータに基づいて人間を理解する姿勢を身につけていると言えるだろう.その上で,心理学を学んだわれわれは,図的思考する人種になっていると提案したい.
本書の草稿をあたため始めて以来,タイトルに「図学部心理学構想」という言葉を用いることに執着してきた.しかし,身近な誰彼に聞いてみて,いきなりの“図学部”では主旨が理解されないことを痛感した.そこで,やむなく,看板からこの言い回しを外すことにした.それでも筆者は,本書を『図学部の本』と呼ばれることを願っている.“図学部”という思い入れについては,「はじめに:図学部心理学という発想」で解説した.
筆者の専門は知覚心理学であり,そのことが心理学を図的思考の学問と特徴づけることに強く関わったのは事実である.しかし,目次を通覧してもらえば,知覚心理学のみならず,どの領域でも心理学を学んだ人なら図的思考にアイデンティティを感じるはずだとの主張を理解してもらえると思う.本書の中で知覚心理学に取材したトピックの多くは,アーヴィン・ロック(Irvin Rock, 1922-1995)というアメリカの知覚心理学者の業績に負った.欠点をあげつらうため,中には批判の対象として取り上げたものも少なくない.しかし,ロックは,筆者が最も敬愛する心理学者であり,かなり読み込んでおり,それだけに欠点にも目が向いたわけである.父親に甘えるような気持ちで,気安く批判の材料にさせてもらった.本書を上梓するに当たって,すでに故人になっておられるが,ロックに対し最大の謝意を表したい.
本書で展開する図的思考の学問としての心理学は,副題に掲げたように視聴覚教育論にも重要な視座を提供すると確信している.視聴覚教育は,これまで教育心理学の延長上に位置づけられることが多かった.私事で恐縮だが,筆者は,教育心理学科視聴覚教育講座の卒業生である.ハード面に注目すると,現在の視聴覚教育は,システム工学や情報科学との結びつきを強めている.しかし,視聴覚教育を人間の思考を支援するソフト面から捉えると,いまなお心理学と密接に関わる領域である.本書を貫く“図的思考の学問としての心理学”は,まさにソフト(内容)面から視聴覚教育を考える基本視座を与えている.心理学も視聴覚教育も,“図学部”仲間なのである.
本書の性格上,図を中心に引用させていただいた文献が多数に上った.逐一,ここに名前を挙げることはできないが,それらの文献の著者に対し,この場を借りてお礼申し上げたい.本書の出版をお引き受けいただいたナカニシヤ出版,及び編集部の宍倉由高氏に,あわせてお礼申し上げる.
1999年1月
吉村浩一
目次
はじめに:図学部心理学という発想 1
第1章 図化は抽象化の行為 5
1.1 書物に現れた図化の例:フロイトの心的装置図の変遷 6
1.2 ビドローの解剖図 9
1.3 具体−抽象の梯子の昇り降り 12
1.4 記号の代表性とアフォーダンス 13
第2章 メカニズム探究を促す図的デモンストレーション 19
2.1 ルビンの盃で交替するもの 21
2.2 平面画像から3次元性を知覚する 23
2.3 陰影と凹凸 25
2.4 主観的輪郭 26
2.5 サッチャー錯視 28
2.6 肖像画の錯覚 30
第3章 心理モデルの図的表現 37
3.1 実体概念モデルと構成概念モデル 38
3.2 実体概念モデル:脳地図モデルを例に 39
3.3 構成概念モデル 41
3.3.1 “ブロック・アンド・アロー”モデル 41
3.3.2 ブルースの顔認知モデル 44
3.3.3 モデルの修正 46
3.4 シミュレーション・モデル:キリアンの意味理解モデル 49
3.4.1 教授可能言語理解機構からの出発 50
3.4.2 カテゴリー内成員の非同等性 53
3.4.3 キリアン・モデルの改訂 55
第4章 図的プレゼンテーションの工夫 59
4.1 図化に投入するエネルギーは時間のむだか 60
4.2 同時提示によるアクセスの促進 63
4.2.1 2次元空間の利用 63
4.2.2 3次元表現の問題点 66
4.3 時系列事象の扱い方 69
4.4 図化による失敗 74
4.4.1 補間が誤りを生む危険性 74
4.4.2 素朴理論が誤った解釈へ導く 78
4.4.3 グラフでうそをつく方法 79
第5章 見えないものを視覚化する 85
5.1 隠れたものを視覚化する 86
5.2 図化が促す概念の理解 90
5.3 メタファーとしての視覚化 92
5.4 静止画像で動きを視覚化する 96
5.4.1 誘導運動 97
5.4.2 ジンステーデンの風車 99
5.4.3 エイムズの窓 100
5.4.4 逆さめがね着用時の“視野の動揺” 103
5.4.5 動きを視覚化する工夫 106
第6章 実験計画の図的把握 113
6.1 研究法と変数の分類 114
6.2 要因配置実験 118
6.2.1 2要因計画実験 118
6.2.2 3要因計画実験 121
6.3 さらに多くの要因を扱う研究 127
6.4 図形刺激の変数化 132
6.4.1 心理次元での統制 132
6.4.2 物理次元での統制 136
6.4.3 物理的統制の位置づけ 141
第7章 文章作成にも図学部精神 143
7.1 トピック・センテンス:レポート作成の場合 145
7.1.1 段落とパラグラフ(文段) 147
7.1.2 トピック・センテンスからアウトラインへ 149
7.2 アウトラインの階層数:論文や書物の場合 152
7.3 図的思考の道具としてのアウトライン・プロセッサ 154
第8章 視覚型人間と視点の問題 161
8.1 図的思考度の測定 162
8.2 絵で考える人 167
8.3 視点の問題 170
8.4 短絡化・単純化の自覚 174
8.5 おわりに 177
引用文献 181
索 引 189